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2013/06/28

■「誤りを繰返さないように私たちは充分学んだであろうか」

藤永茂さんの「ロバート・オッペンハイマー」はとても示唆に富んでいる本です。
しかし古い本ですし、読んだ人も多分もう忘れているかもしれません。
それで、私の心に響いたところを少し紹介させてもらいます。
昨今の原発再稼働の勢いの強まりの中で、印象に残ったところです。

原発の生みの親は言うまでもなく原爆ですが、原爆を生み出したのは、アメリカのロスラモスの研究所です。
原爆開発の目的は、ナチスドイツの原爆開発に備えてのことです。
ですから、ナチスドイツに原爆開発能力がないと分かった段階で、開発を辞めるという選択肢があったわけです。
事実、そうした議論はあったようです。
しかし、ナチスドイツの敗北の後も、そして戦争が終わった後も、原爆開発は継続しました。
ただ、ロスアラモスを去った科学者が一人だけいたそうです。
後にノーベル賞を受けるジョセフ・ロートブラットです。
ロートブラットといえば、核兵器と戦争の廃絶をめざす科学者たちのパグウォッシュ会議の書記長を長年務めてきた人でもあります。

ちなみに、数年前に電力会社のとても誠実なエンジニアの人と話していて、パグウォッシュ会議のことを知らないことに愕然としたことがあります。
私の世代だと、原子力や平和に関心のある人であれば、おそらくパグウォッシュ会議は知っているでしょう。湯川秀樹さんも、そのメンバーでした。
その人(私にとっては原発問題をきちんと話し合える数少ない友人の1人です)でさえ知らないということは、パグウォッシュ会議のメッセージは、原発関係者に継承されていないということです。

藤永さんは、その本の中で、ロートブラットが原爆後40年の1985年に話した言葉を紹介しています。

「40年たった今も、一つの疑問が私の心につきまとう。あの時犯した誤りを繰返さないように私たちは充分学んだであろうか。私自身についてさえ確信はない。絶対的平和主義者ではない私は、前と同じような状況になった時、前と同じように振舞うことはない、とは保証しかねる。私たちの道徳観念は、一度軍事行動が始まれば、ポイと投げ捨てられるように思われる。だから、最も重要なことは、そうした状況になることを許さないようにすることである」
原爆と原発は違うという人が多いですが、ロートブラットの疑問は、まさに今の私たちが自らに問うべき問題ではないかと思います。
私たちは、ほんとうに、福島の惨状からきちんと学んだのでしょうか。

飯舘村のかーちゃんの力プロジェクトの渡邉さんが、ここに来てもらえば、考えが変わるよ、と言っていたことを思い出します。

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