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2013/06/17

■節子への挽歌2114:別れの食事

節子
電話での突然の訃報ほど、頭が混乱することはありません。

電話に出ると、佐藤修さんのお宅ですかと女性からでした。
セールスかなと一瞬思ったのですが、「ご無沙汰しています。野原の家内です」という言葉に、心が凍りました。
そういえば、最近、野原さんから連絡がないのが少し気になっていたのです。
すぐに、訃報だと感じました。
残念ながら、その予感通りでした。
4年前にがんを患い、抗がん治療などしながら仕事を続けていたのだそうです。
まったく知りませんでした。
この4年間、会っていなかったのでしょうか。
いやそんなことはないような気がします。
それで私のホームページで調べてみました。
私のホームページには、私の活動記録が載っていますので、この10年の私の活動記録はほとんどわかるのです。

調べてみたら、3年前の5月に会っています。
はっきりとは覚えていませんが、たしか、急に野原さんから電話があり、会いたいといって湯島に来たのです。
しかし、がんの話は全くなく、いつものように、これから取り組む話を語っていきました。
ホームページには、こう書いてありました。

野原さんは相変わらず関心を飛ばしていますので、
各地の地域整備に関わったり環境問題に関わったりしているようです。
この文章から、野原さんがもしかしたら、急いでいたのかもしれないと思いました。さらに、その記録によれば、私がお昼をご馳走になっています。
これは普通はありえないことです。
湯島での食事の場合、ある事情のある2人を除いて、基本的には私がご馳走することにしています。
にもかかわらず、野原さんがご馳走してくれています。
もしかしたら、野原さんはこれが最後だったと知っていたのでしょうか。
あるいは、その日は、私にがんのことを話しに来たのでしょうか。
今となっては、確かめようがありません。

野原さんは私が東レにいた頃からの付き合いですが、異色のマーケターでした。
私が東レを辞めてしばらくして、野原さんも勤めていた会社をやめて起業したのです。
常人にはなかなか理解し難いところがありましたが、いつも、突然湯島にやってきて、話をして帰っていったのです。
考えは同じようで違っていて、よく論争もしました。

節子が発病した時、野原さんはとても気にかけてくれました。
その野原さんが、がんになり、しかし私には何も話してくれなかったのはなぜでしょうか。
3年前に湯島で話した時に、もしかしたら注意して聞いていたら、何かのシグナルを出していたのかもしれません。

電話でお話を聞きながら、頭が白くなってしまい、何を話したか覚えていません。
もう一度、野原さんには会っておきたかった。
とても残念です。

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