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2013/06/11

■節子への挽歌2109:重い荷物を背負う先にあるもの

節子
この数日、いろんな人からメールをもらいます。
それぞれに自らが重い荷物を背負った人たちです。
その人たちからのメールを読みながら、みんなそれぞれに問題を抱えているのだということがよくわかります。

伴侶を亡くされた人は、こう書いてきました。

人は何かあるごとに間口を開き許容量は増して行くのかも知れませんが、動物的な感(勘?)で危険を察知しながら進んで行くのかも知れません。
どんなに忙しくても私は自分がおちている時は奥多摩の方へ出かけます。
それは、私が子どもの頃山の中腹にある寺院で育ったため、山の中の自然と同化できるのだと思います。
またある人は、こう言います。
立ち止まらないといけないと思っていますが、立ち止まるともう動けなくなるような気がして、それがこわいのです。
体調を悪くして、2か月ほどダウンしている人からは、なんと逆になぐさめのメールが来ました。
ご様子いかがですか。
どうぞ、心身を休まれるときは、ゆっくりと休養されますように。
問題を抱えている人ほど、他者の問題も見えるのでしょう。
私も、最近、周辺の人たちの問題がよく見えるような気がします。
それだけ私自身が問題を抱えているということかもしれません。

韓国の法頂さんが、その著書の中で、無所有になれば、すべてのものが自分のものになるというようなことを書いていましたが、他者の問題をシェアすれば、自分の問題もシェアしてもらえるのかもしれません。
重い荷物を背負う先には、きっと開けた世界があるのでしょう。
重い荷物は、やはりしっかりと背負っていかねばいけません。
最近ちょっと疲れだしていますが、私だけではなく、みんなそれぞれに重い荷物を背負っているのですから。

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