■「悲しいね」
今朝のNHKテレビの「あさイチ」は、福島の飯舘村をテーマにしていました。
飯舘村は「までいらいふ」を掲げ、美しい農村風景と豊かな暮らしで有名でした。
その飯舘村は、一昨年の原発事故で全村避難を余儀なくされてしまいました。
美しかった農村風景はもうそこにはありません。
事故前の飯舘村の写真展が各地で開催されていますが、それを見た人が、こんな美しい村の暮らしが失われてしまったことに対して、「悲しいね」と話していました。
本当に「悲しい話」です。
しかし、私が思った「悲しいね」というのは、最近の原発再稼動への動きです。
写真を見た人たちが感じる「悲しさ」が、そうした動きにはつながっていません。
一昨年の原発事故は、いったいなんだったのか。
情緒的な悲しさだけで完結してしまっているのです。
悲しさが胸をふさぎます。
また政府は原発再稼動の動きを加速させてきています。
多くの人も、マスコミも、それにあまり違和感を持っていないように思います。
それがとても「悲しい」です。
「原発事故で死者がでていない」と高市議員は発言しましたが、もう少し現実をしっかりと見て、真実を語ってほしいと思います。
マスコミもきちんと報道すべきですし、知っている人はもっと発言していくべきでしょう。
しかし、そうした情報は闇の中に紛れてしまいます。
その結果、相変わらず「原発」とは何かをきちんと知ろうとする人は多くはありません。
情緒的な情報を流す前に、テレビは原発とは何かをきちんと解説すべきだと思いますが、多くの人は「核の平和利用」などというわけのわからない言葉の呪縛から抜け出せずにいます。
テレビに出ていた、かーちゃんの力プロジェクトの渡邉さんのお話もお伺いし、かーちゃんたちが作ったお弁当や料理も食べてきました。
テレビでも話していましたが、渡邉さんはともかく現場を見てほしいとその時も話されていました。
政府関係者が現場に行けば、そしてそこで住民たちと話をしたら、原発再稼動という気持ちには、そう簡単にはならないでしょう。
生活の安定のために原発再稼動を望むと、福島以外の原発が立地する自治体の首長たちが語っていますが、その論理のおかしさにも気づくでしょう。
こんな「悲しさ」が福島周辺には充満しているのに、なぜそれが全国に広がらないのか。
やはり放射線汚染が広がらないと、みんな自分の問題として受け止められないのでしょうが。
それが、悲しくてなりません。
テレビでできることはもっとあるのではないかと、あさイチを見ながら思いました。
司会の井ノ原さん以外の人の発言には、どこかに違和感がありました。
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