« ■節子への挽歌2107:「観自在」、「自らのあり方を観よ」 | トップページ | ■株価の乱高下するのは株式には価値がないからです »

2013/06/10

■節子への挽歌2108:覚悟

節子
昨日、薬師寺の大谷さんの話を書きましたが、もう一つ印象的だったのが、「覚悟」ということです。
人に説法する時には、覚悟がなければいけないということです。
私の勝手な解釈では、相手と共にあることを覚悟するということです。

最近読んだ本に、「魂の脱植民地化とは何か」という、とても共感できた本があります。
そのなかに、「憑依」の危険性を書いている部分がありました。
この本で言う「憑依」とは、「魂が他者の魂の動きをなぞって、わかったつもりになること」というような意味です。
平たく言えば、相手の立場になって考えるということです。
著者の深尾さんは、それはとても危険なことだというのです。
他者の魂になって言動するなどできるはずがありません。
そもそも人は、自らの魂とさえ断絶していると、深尾さんは書いています。
これに関しては、また別に書きたいですが、ともかく他者の魂と共にあろうと思うことは危険であり、覚悟が必要なのです。

覚悟は、観自在の結果、自ら、つまり「われ(吾)」を悟ることです。
問題は、その「吾」とはなにか、です。
私の思いでは、それは「大きないのち」の吾です。
そこには、小さな自分は消え去り、相手と共にある自分がいる。
自分と相手とは、不二の関係にある。
それが覚悟ではないかと思います。
それは簡単なことではありません。
しかし、愛する人を亡くした人は、自然とそれができるようになるのかもしれません。
特に、一人だけではなく、今回の大震災の津波に被災された人たちのように、たくさんの人たちが一緒に、そういう体験をした場合、自然と覚悟が生まれてくる。
そんな気がします。

私に覚悟が芽生えたのは、5年も経ってからです。
でもまだ、節子と共にあることだけで、精一杯の気がします。
どこかで、節子をえこひいきしている自分が覚悟をゆるがせているのです。

|

« ■節子への挽歌2107:「観自在」、「自らのあり方を観よ」 | トップページ | ■株価の乱高下するのは株式には価値がないからです »

妻への挽歌11」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌2108:覚悟:

« ■節子への挽歌2107:「観自在」、「自らのあり方を観よ」 | トップページ | ■株価の乱高下するのは株式には価値がないからです »