■冬のトマトと原発輸出
阿部首相がテレビのインタビューで、「各国より、わが国の原子力技術への高い期待が示されている」から原発を輸出する責任があるというようなことを話していました。
それを聞いていて、むかし書いた「冬のトマト」のことを思い出しました。
冬にもトマトを食べたいと思っている消費者に、冬に温室でトマトを育てて販売することは好ましいことか、という話です。
むかし書いた小論を引用します。
冬にトマトを食べたいという消費者に対して、エネルギーを多消費する温室栽培でトマトを生産するべきかどうかという問題を考えてみよう。工業化技術の成果を駆使すれば、冬にトマトを作ることは難しいことではない。それが工業化の成果だと考えられてきた。だが、地球環境に与える影響は決して小さくない。消費者に我慢してもらうのが地球環境保全の見地からは望ましい。しかし、その結果、その企業は消費者ニーズを満たしてくれない企業として厳しい競争から脱落してしまうかもしれない。少なくとも事業機会を失うことは否定できない。こうした問題はどの事業にも存在する。事業本体を地球環境保全の見地から一挙に設計変更することは容易なことではない。これを書いたのはもう20年以上前のことですが、残念ながら状況は未だに当時と変わっていないような気がします。
別の小論で書いたのですが、冬にトマトを提供するのは「小さな消費者満足」、冬のトマトを拒否するのが「大きな生活者満足」だと私は思っています。
もし持続可能性を主張するのであれば、企業は「大きな満足」を目指すべきでしょう。
言葉としては、持続可能性とか環境意識はあふれてきていますが、企業も消費者も意識を反転はさせませんでした。
その象徴が原発ですが、まさにその原発で、同じようなことが繰り返されています。
ほしがる国があれば、原発を売るのです。
欲しがる人がいれば、トマトを売ればいい、と同じ発想です。
この発想は、欲しがる人がいれば、脱法ハーブを売ればいいという発想にもつながります。
日本は原子力に関しては先端的な体験をし、先駆的な知見を獲得しました。
阿部首相は、同じ新聞報道で、こうも言ったと伝えられています。
「事故の経験と教訓を世界と共有し、世界の原発の安全に貢献することが、わが国の責務だ」「安全」を「廃棄」に置き換える発想は出てこないものでしょうか。
まあ冬のトマトを食べ続ける国民が選んだ首相であれば、期待するのが無理なのかもしれません。
ところで、庭のトマトが実を付けだしました。
旬の野菜こそが、美味しいです。
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