■「沈黙の抗議」からサッティヤーグラハが伝わってきます)
トルコでの市民のデモ活動に対する政府の強制排除はとても残念なニュースでしたが、それに対して、一昨日からイスタンブールのタクシム広場で、市民たちが静かに立ち並んで、政府に対する「沈黙の抗議」が自然発生的に広がっているようです。
グーグルで調べたら、「集まった人々は、ただじっと立っているだけ。警官隊は、広場へのデモ隊の立ち入りは規制していたが、一般歩行者の通行は自由となっており、仕事帰りの市民らが続々と加わった」と書いてありました。
1000人ほどの人が参加したそうです。
その記事によれば、「強い日差しの中、丸1日広場に立ち続けた大学生のイート・ユルマズさん(18)は「叫んだり暴力を使ったりしなくても、政権に圧力をかけられることが分かった」と満足そうな表情だった」とありました。
テレビで、その映像を見ましたが、若者たちが、カジュアルな服装で、ただただ立っている風景は、実に感動的でした。
ガンディーのサッティヤーグラハを思い出しました。
ガンディーは非暴力市民的不服従運動で有名ですが、その基本にあるのは、真実と愛だといわれています。
愛や真実を意味する「サッティヤ」とぶれないとか説得とかを意味する「アーグラハ」と言う、2つのサンスクリット語を合わせた言葉が「サッティヤーグラハ」です。
ガンディーは、非暴力不服従運動に関して、次のように言っています。
サッティヤーグラハは、真実と愛すなわち非暴力から生まれた力である。シリアでは、暴力に対して暴力で抗っていますが、アメリカやロシアに利用されてしまい、事態は悪化の一方です。
私たちがサッティヤーグラハの人々であるならば、私たちは強くなるだろう。
私たちは毎日だんだん強くなって生きている。
力が強くなっていく中で、私たちのサッティヤーグラハもより効果的になる。
トルコでは、それとは違う動きが出てきました。
暴力に対して暴力を行使するには、さほどの勇気は要りません。
もちろん、愛も真実も要りません。
ただ止むにやまれず身体的に反応するだけです。
その先には展望は開きにくいでしょうし、外部に利用されるだけかもしれません。
しかし、暴力の前に立って「沈黙の抗議」をすることは、勇気だけではなく、愛と真実が不可欠です。
その先には展望があります。
だから感動したのですが、さて振り返って、私たちがいま向き合っている原発再稼動という暴力にも、やはりこうした行為が必要ですね。
なかなか動けないでいる自分がいますが、やはりこのままでは悔いを残しそうです。
サッティヤーグラハな人に、もう一歩、近づこうと思います。
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