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2013/06/27

■「物理学者は罪を知った」

昨日の電力各社の株式総会では、原発再稼動の動きが急速に加速されていること、また原発の見直しへの株主への提案は一顧だにされないことが明らかになりました。
予想はしていたことですが、もう少し誠実な話し合いがあってもよかったのに、とさびしい気持ちになりました。
この不条理な流れが、このままで終わるとは、私には思えませんが、いずれにしろ悲しい顛末が予感されてなりません。

藤永茂さんの『ロバート・オッペンハイマー』(朝日選書)を読みました。
1996年に出版された本です。
副題が「愚者としての科学者」となっています。

オッペンハイマーは、アメリカの原爆開発の立役者ですが、戦後の冷戦時代の赤狩りの波に襲われ、公職を剥奪されて、不遇の晩年をすごしました。
スパイ容疑を問われた法廷で、オッペンハイマーは「物理学者は罪を知った」と繰り返し述べたそうです。
この言葉の意味の深さは、哲学者ホーキンスが「彼は既存の道徳の言葉で語っていたのではなく、宗教の言葉、あるいは哲学倫理の、エデンの園の、失われた純潔性の言葉で語っていたのである」と述べているそうですが、物理学者のみならず、私たち生活者にもするどい指摘になっているように思います。
そのくらいの想像力は、持ちたいものです。

藤永さんの本には、唐木順三さんが残した言葉も引用されています。

「科学者たちは〈核兵器は絶対悪なり〉という判断、価値判断を、社会一般に対して下しながら、科学者自身に対しての、或いはその研究対象、研究目的に対しての善悪の価値判断を表白することは稀である。物理学者が己が社会的、時代的責任を表白する場合、単に善悪の客観的判断ばかりでなく、自己責任の問題、〈罪)の問題にまで触れるべきであるということが、現在のむしろ当然であり、そこから新しい視野が開かれるのではないか」。
私がずっと不思議に思っていることは、原発事故の後、科学者も技術者も組織的な発現や活動をしていないことです。
個人的に意見を言う人はいますが、組織として動こうとしたり、組織的な呼びかけをしたりしている科学者や技術者が見えてきません。
同じことは、テレビのキャスターやコメンテーターにも感じます。
報道ステーションの古館さんは、昨日もかなり批判的な発言をしていましたが、だからといって、行動を起こすわけではありません。
まさか報道の中立性などという絵空事を信じているわけではないでしょう。
私には、今の原発問題は、人生を賭けてもいいテーマではないかと思います。
社会的に影響力ある人たちは、ぜひとも旗幟鮮明にし、信念を形にして欲しいと思いますが、やはり社会的な地位を得てしまうと、それが難しくなるのでしょうか。
改めて、オッペンハイマーの誠実さに敬意を感じます。

「原爆を生んだ母体は私たちである」という藤永さんの言葉は前にも引用しました。
狂気の時代の到来としか思えません。
狂気に立ち向かえるのは、愚者しかいません。

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