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2013/06/26

■節子への挽歌2121:此岸で供養か、節子に会いに彼岸行きか

節子
大宰府の加野さんから、またイオン水が届きました。
私が最近少し元気がないのを心配して送ってくれたのです。
節子の元気な時に、この水のことを知っていたらと思うと残念です。
節子に、奇跡が起こりかけたのも、加野さんが送ってくれた薬水でした。
水は不思議な力を持っています。

加野さんには節子も会っていますが、大宰府には節子は行っていません。
節子が元気だったら、大宰府の加野さんのお店にも行けました。
節子が好きそうな久留米絣のお店です。
私も加野さんから久留米絣のドレスシャツをもらいましたが、腕を通したことがありません。
節子は暖簾をもらって、寝室のドア代わりに使っていたような気がします。
あの暖簾はどこにいったのでしょうか。

わが家のインテリアは、節子好みでいろいろと季節ごとに変わっていました。
そういえば、寝室の壁の飾りなどは、節子がいなくなってから何も変わっていません。
寝室だけでなく、廊下や階段の装飾品もほぼ節子時代のままです。
それぞれにささやかな思い出があるのですが、その思い出も私がいなくなれば、消えてなくなるでしょう。
虚しいといえば、虚しいことです。

加野さんは、娘さんに先立たれました。
娘さんは、節子も私もよく知っています。
娘さんは大きな夢を持ちながら、実現できないまま母親よりも先に逝ってしまいました。
加野さんの悲しみはどれほどだったでしょうか。

私が、加野さんの娘さんの死を知ったのは、節子を見送った後でした。
大宰府のご自宅にお花を持ってうかがったら、加野さんはこう言いました。
娘の供養をしなければいけないので、死ねないのです、と。
それから加野さんは、健康に留意し、イオン水も飲んで、今は以前よりも元気です。
とても80代とは思えません。
娘の供養をすることが、加野さんの生きる意味であり、元気の源なのです。

私はまだそこまでいけていません。
此岸で供養するよりも、彼岸で節子と一緒にいたいと思ったりしています。
覚悟ができていないのです。
さていただいた水を飲むべきかどうか。
飲むと、彼岸が遠のきます。
正直、迷います。

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