■節子への挽歌2104:久しぶりのお弁当
節子
風早さんが湯島に来てくれました。
風早さんはある研究所の役員ですが、節子の病気のとき、毎朝、回復祈願してくれた人です。
そして、節子を見送った後、ご自身もがんが発見されました。
風早さんは私より少しだけ若いのですが、思いの深い方なのです。
話がいろいろ広がり、お昼を過ぎたので、食事に行きましょうかと誘ったら、実はお弁当を作って持ってきたと言うのです。
ご自身の手づくり弁当です。
風早さんは毎朝、5時に置き、朝食を作りながら、ご自分と奥様のお弁当を作るのだそうです。
今日は、それを一つ、余分に作ってきてくださったのです。
佐藤さんは、最近手づくりお弁当は食べていないでしょうから、と言って、心のこもったお弁当を出してくれました。
実に見事なお弁当です。
さまざまな食材を使った、カラフルで美味しいお弁当でした。
風早さんが言うように、久しぶりのお弁当でした。
話をしているうちに、風早さんはいま、私たちが昔住んでいた保谷に住んでいることがわかりました。
しかも私たちが住んでいたところを時々通っているほどの近さだそうです。
それでまた一挙に話が弾んでしまいました。
さらに話は広がりました。
風早さんは岡山のご出身ですが、ご実家が数年前に不審火で焼失してしまったのだそうです。250年ほど前に建てられた由緒ある建物だったようですが、聞き漏らしましたが、当時は誰も住んでいなかったのかもしれません。
風早さんの夢は、仕事を得たら、そこに隠居し、晴耕雨読しながら、その建物をみんなに開放していくことだったと言います。
その夢が無残にも消えてしまったわけです。
風早さんの人生は変わってしまったわけです。
人生は何があるかわかりません。
節子がいなくなって、私の夢も消えました。
風早さんは、思い出がつまった家をなくしてしまい、夢も失ってしまった。
話しながら、そうか人はみんなそれぞれに大切なものをなくしながら生きているのだと思いました。
その大切さは、比べようもありません。
しかし、風早さんの夢は回復可能です。
岡山は遠いですが、風早さんにはその夢をぜひ実現して欲しいと思いました。
なにか出来ることがあればいいのですが。
でも私の夢は回復しようがありません。
そんなことを考えながら、ちょっとうれしく、ちょっと悲しさもある、久しぶりにお弁当をご馳走になったわけです。
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