« ■「助け合いの文化と仕組み」を考えるサロンのお誘い | トップページ | ■節子への挽歌2128:出雲大社 »

2013/07/15

■節子への挽歌2127:赤後寺観音

節子
昨日も書きましたが、節子の幼馴染の雨森さんのメールを改めて引用します。

今年もわが集落(唐川)の赤後寺(しゃくごじ)観音の千日会法要が無事終わりました。
余りの暑さに、例年より少し参拝客が少なかったようです。
小生も例年のように接待などに顔を出していました。
挽歌2125でお書きのお姉さまが、今年もお参り下さいました。
膝の手術をなさったとのことで、観音様の石段がきついので下から拝んでおくとの事で残念でしたが、御志納もちゃんとあげて頂きました。有難いことです。
遠くから足が痛いのに、小生なら止めにしている事でしょうに。
しばらく唐川の仲間たちとも、下のテントで楽しく雑談をしました。節子さんの挽歌が続いている事も話題になりました。
又機会あれば、途中下車して下さいね。
赤後寺観音と言っても知らない人が多いと思いますが、滋賀県の湖北の高月町(いまは長浜市になっています)にあるお寺にある観音像です。
高月町は、節子の生家のあるところで、前にも書きましたが、観音を本尊にしているお寺が多いのです。
それで、高月町は「観音の里」と称しています。
一番有名なのは、渡岸寺の十一面観音です。
この観音はとても端正な顔をして、私が最初に会った時には大きなオーラを発していました。
残念ながら最近は、会う度に元気がなくなり、最後に見た時には、私にはオーラよりも悲哀を感じました。
見世物になってしまっていたのです。

それに比べると、赤後寺の観音は、まだ集落の人たちに篤く守られています。
私が最初に行った時には、まだ秘仏とされていましたが、いまはお願いすれば拝ませてもらえます。
毎年、7月10日の千日会法要には遠くからもおまいりに来るのだそうです。
雨森さんたちは、そのお接待にあたっていたのです。

私も以前、節子と2人で拝ませてもらったことが2回ほどあります。
一体は千手観音でしたが、渡岸寺の観音とはまったく表情が違うのです。
ちなみに、この周辺の観音たちは、ほとんどが集落の人たちに守られていますので、すぐ目の前で拝めます。
雨森さんが書いているように、節子の生家のある周辺の集落は、どこもとても信仰が篤く、暮らしが仏たちと共にあるのです。
その距離感がとても好きでしたが、最近は、渡岸寺のように陳列されてしまうスタイルになってきています。それがとても残念です。
しかし、赤後寺のある唐川は、まだしっかりとその文化が残っているのです。
私は、そこになかなか入れない異邦人のような存在ですが、節子が一緒だと、自然にその文化が伝わってきて、とても心地よかったのです。
しかし、節子がいない今となっては、どうも素直には足が向きません。

節子と一緒に、もう一度、赤後寺や渡岸寺の観音たちに会いに行きたかったです。

|

« ■「助け合いの文化と仕組み」を考えるサロンのお誘い | トップページ | ■節子への挽歌2128:出雲大社 »

妻への挽歌11」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌2127:赤後寺観音:

« ■「助け合いの文化と仕組み」を考えるサロンのお誘い | トップページ | ■節子への挽歌2128:出雲大社 »