■節子への挽歌2142:供花
節子
最近、暑いこともあって、お墓参りをさぼっていましたが、今日は久しぶりに行ってきました。
夏の間は、生花はすぐに枯れて腐ってしまうので、造花にしています。
今年の造花は、娘たちが時間をかけて選んできた組み合わせです。
素材は100円ショップのものなので、材料費は1000円にも届きませんが、まあかなり思いを込めて、みんなで選んだ花の組み合わせなので、節子も気にいってくれるでしょう。
節子も、こういうことが好きでしたが、うれしいことに娘たちも、まけずに好きなのです。
わが家の位牌に具える花も、夏はなかなか長持ちしません。
いろんな方からお花代をもらったので、以前は供花基金として別勘定にしていたのですが、ついつい私が使い込んでしまい、最近は独立基金がなくなってしまいました。
それで、わが家や畑の花を供えることもあるのですが、この季節は、供花になるような花がなかなか育ちません。
わが家は、基本的に「仏花」を好みません。
節子もそうでした。
葬儀の時にも、仏花をやめて、バラとユリにしたかったのですが、実現できなかったことは前にも書きました。
いまは法要の時は、できるだけ仏花らしくないものにしています。
節子の実家もそうでしたが、農家には必ず仏壇用の花畑があります。
仏壇に花を供えることを通して、生活にも花が取り入れられてきたわけです。
祖先を祀る事は、実は花とふれあい、自然を祀ることでもあったのです。
このことに気づかされたのは、節子と結婚し、節子の実家で過ごすことを通してです。
花を供えるという行為は、生活に大きな影響を与え、人の心にも大きな影響を与えてきたように思います。
しかし、その習慣や文化は、40年ほど前からなくなりだしました。
それが、最近の社会の姿に大きな影響を与えているような気がします。
花のある生活は、社会のあり方を変えていくはずです。
最近、暑いこともあってすぐ枯れてしまうので、仏壇の花も小さなものになってしまいがちでしたが、やはり供花はきちんとしなければいけないと思いなおしました。
仏壇に供えられるような花も、畑で作り出そうと思います。
節子に供える花は、実は遺されたものにこそ、供えられているのですから。
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