■節子への挽歌2131:苦労の重さに苦労しています
節子
人生には苦労はつきものですが、最近はなぜか苦労が押し寄せてきます。
まあこれまであまり苦労を苦労してこなかったからかもしれません。
節子がいた頃は、私にとって一番苦手の苦労は、すべて節子の担当でしたし。
人生において引き受けなければいけない苦労が一定量であるならば、もっと若い時に引き受けるべきでした。
しかし、ものは考えようで、苦労も豊かさのひとつと思えばいいだけの話かもしれません。
事実、それは全く根拠のないことではありません。
何もすることのない退屈な人生よりも、苦労が多い人生のほうが、退屈ではないでしょう。
これはかなりの負け惜しみ的な強がりかもしれませんが。
苦労が多いと、時間が経つのがなぜか早いです。
ちょっと気を抜くと、すぐに挽歌を書き忘れます。
挽歌を書くことで生活にリズムをつけようと思ってはいるのですが、それはそう簡単ではありません。
暇なのですが、こまごまと時間をとられることが増えているのです。
しかし、なぜか最近、挽歌に反応してくれる人が集中しています。
昨日は、初めて私の挽歌を読んだ友人が、間違ってメーリングリストにそのことを書き込んでしまいました。
メーリングリストの場合、一挙に全員に届いてしまうので、私も冷や汗をかいてしまいました。
この挽歌は、あまりに素直に自分の感情を開け放していますので、あまり読まれたくないと思う人もいないわけではありません。
しかし、その反面、思いもかけなかった人が読んでいるのを知ると、その人との距離感が急になくなってしまうような気もします。
人との関係は不思議なものです。
ところで、人生の苦労ですが、苦労を一緒に背負い込むと、これもまた距離感が変わります。
節子とは40年以上にわたり、苦労を背負いあいました。
どちらかといえば、節子のほうに背負わせすぎていたかもしれません。
節子は不満を言いませんでしたが、今にして思うと、私がいいとこ取りしすぎたような気もします。
でもまあ、苦労を共に背負ったおかげで、私たちの距離感はなくなりました。
苦労も2人で背負えば、苦労どころか楽しくさえなるものです。
しかし、苦労を共にすることが、必ずしもいつも「良い方向」にいくとは限りません。
注意しないと人嫌いにもなりかねない、苦労のシェアの仕方もあるのです。
最近は、ちょっと苦労の重さに苦労しています。
節子に少しシェアしてほしいです。
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