■節子への挽歌2141:変わったようで変わらない生き方
節子
昨日のオープンサロンは、節子もよく知っている人たちが集まりました。
最近の政治状況の話から、社会のあり方や私たちの生き方へと話題が広がりました。
みんな私の生き方を知っている人たちですので、話は具体的になります。
サロンの最初に来たのは、一番古い付き合いの武田さんですが、私の顔を見た途端、疲れてますね、と心配してくれました。
たしかにこの数日、寝不足もあって、目があかないほどに疲れています。
武田さんは、重ねて、奥さんがいなくなって、佐藤さんはもう死んだようなものだよね、といつものように憎まれ口です。
まあしかし、いずれも事実だから仕方ありません。
たしかに節子がいなくなってから、私の生き方は、ある意味では「死んだような生き方」になっているかもしれません。
それに、節子がいた頃と違って、疲れを蓄積してしまう生き方にもなっていることは否定できません。
「死んだような生き方」と「疲れの蓄積」は、つながっています。
「生きていれば」、疲れはどこかで解消されるからです。
いずれにしろ、私の生き方は、大きく変わったはずです。
にもかかわらず、私の生き方における考え方は、節子がいた時と変わっていません。
私の生き方の話を聞いた大島さんが、20年前から聞いていますよ、と言ってくれたのは、その証になるでしょう。
いうまでもなく、武田さんは、私の生き方を、相変わらず馬鹿だなといつも言いますし。
ということは、私の生き方は、変わっていないのです。
変わったようで変わらない生き方。
私の生き方の何が変わり、何が変わっていないのか。
少し考えてみたいと思います。
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