■気がついたら蓋の中
相変わらず福島第一原発では、放射能汚染水が海へ漏出しています。
業を煮やした規制委員会は自らが作業部会をつくり、対策の検討に乗り出すことになったと報道されています。
新聞記事にはこうあります。
規制委は、東電が海への漏出を認める前から、福島第一原発の坑道にたまった汚染水が土壌にしみだして海に漏れ出ている可能性を指摘。東電に速やかに対策をとるよう指示していた。
規制委員会が動き出したのは歓迎すべきです。
でも遅すぎないでしょうか。
坑道の汚染水が海に漏れ出ている可能性は、別に規制委員会でなくともわかります。
それを、東電に速やかに対策をとれというだけでいいのか。
そこに大きな疑問を感じます。
これは原発事故対応だけの話ではありません。
全柔連の騒動も、同じ疑問を感じます。
昨日の結論は、誰が考えてもおかしいと思いますが、終わった後でみんな批判します。
きちんとした形で次に譲りたいと上村会長は辞職時期の引き延ばしの理由をいつも述べますが、要するに自分の都合のいいようにすることが「きちんとした形」であることは明白です。
しかし、多くの人はそれを批判はしても結局は受け入れます。
なぜでしょうか。
それは、その問題にはコミットしたくないからではないかと思います。
福島原発事故の真相があいまいにされているのも、いまの汚染実態があきらかにされないのも、それに取り組むと排除されるからではないかと思いたくなります。
テレビのキャスターたちがしっかりと突っ込んでいかないのも、同じかもしれません。
知ってしまうと動かなければいけないからです。
だから遠巻きにはいろいろというのですが、決して事実を知ろうとはしない。
知ってしまったことも、決して口外せずに、知らなかったことにする。
おそらくこうした状況が広がっているのではないかと思います。
亡くなった吉田所長のメッセージを青山繁晴さんがテレビで紹介した番組の書き起こしを読んで、改めてそう思いました。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1409.html
しかし、大切なことは「事実を知ること」です。
そして、「知った事実を伝えること」です。
臭いものに蓋をしていたら、いつか社会全体に蓋をしなければいけなくなってしまいます。
気がついたら蓋の中、などということにならなければいいのですが。
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