■善意の人を追いやる闇
山口県周南市の集落で5遺体が見つかった連続殺人放火事件は、最初は猟奇事件のような印象がありましたが、状況が分かるにつれて、現代の社会を象徴するような悲しい事件に見えてきました。
63歳の犯人のイメージも大きく変わりました。
そういう視点で、集落の住民たちの発言を聞いていると、最初の印象とは全く違うような気がしてきます。
犯人を、そこまでの行為に駆り立てたのはなんだったのでしょうか。
そこに深い闇を感じますが、その闇はいまや社会を覆いだしているような気がします。
その闇は、「善意の人を追いやる闇」です。
人はみな、善意なのだと、私は思います。
しかし、善意を貫いて生きていくのは難しいと思いがちです。
なぜなら、善意は多くの場合、裏切られるからです。
裏切られても、善意を貫いて生きることは難しい。
どこかで「折れて」しまいがちです。
いや、折れる前に、自らで自らの善意を押さえ込んでしまうことも少なくないでしょう。
それが生きるために必要だと思いこまされているからです。
でもそんなことはありません。
やってみなければわからない。
それに、善意がすべて良いわけでもありません。
「地獄への道は善意の絨毯で敷き詰められている」という言葉もあります。
善意には実は「魔性」も同居しているのです。
魔性を押さえ込む「大きな善意」は、だれもが兼ね備えているわけではありません。
その魔性を呼び起こし、その魔性が善意を手玉にとってしまうのが「社会の闇」です。
善意が集まっても、必ずしも善意が広がるとは限りません。
周南市の事件は、そうしたことを考えさせられます。
被害にあった人の立場で考えることも大切ですが、むしろ今、私たちに欠けているのは、加害者に追いやられた人の立場で考えることではないかと思います。
加害者と被害者は、紙一重です。
加害者への善意も、忘れてはならないように思います。
そして、加害者の立場をちょっとだけでも理解しようとすれば、世界は違って見えてくることもあります。
これが、最近、私が心がけていることです。
弱い人いじめは、私の一番避けたいことですが、ネットの世界ではそれが広まっています。
しかし、弱いものいじめをする人こそ、実は追い詰められているのかもしれません。
社会の闇からネットを守りたいものです。
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