■参議院選挙に思うこと3:ねじれ国会がなぜ悪いのか
公明党の山口代表が、ねじれた紐を両手で持って、それを強く引っ張ってねじれを解消させるパフォーマンスをしていましたが、この人はまともな人なのかと不安になりました。
しかし、これは「人」の問題ではなく、選挙ということが、そういう行為を引き起こしてしまうのかもしれません。
おかしくなるのは立候補者側だけではありません。
それを見ていた聴衆が拍手をしているのを見て、娘が呆れていました。
その場にいると、人はここまでおかしくなるものなのでしょうか。
実は、娘も投票したい人がいないと嘆いている一人ですので、きちんと発言や資料を読めば、誰かいるはずだといっているのですが、与党の政党の代表がこのていたらくでは、あんまり強くもいえません。
まじめに耳を傾けようとする人を愚弄するような行為はやめてほしいものです。
愚弄されたら腹を立てるくらいの良識も、私たちは持ちたいものですが。
愚弄するといえば、テレビの政治番組で、争点が多すぎるので、ねじれ解消が大きなテーマになっているというような説明をしていました。
私には、これも選挙民を愚弄した発言としか思えません。
争点をしっかりと整理する苦労や責任を放棄して、ねじれが良いか悪いかなどということを論点にしてきたのは、マスコミと「有識者」です。
日本が二院制であるのは、慎重に事を決しようと言うことですし、衆参で多数派の政党が違うからと言って、それがそのまま「決まらない政治にはなりません。
ねじれが悪いという人は、議論する能力のない人でしょうから、もともと議員には向かないのです。
かなり荒っぽい書き方をしていますが、「ねじれ」があるから決定できないと言うのは、無能な議員や政党リーダーの無責任な発言を応援するために、これまた無責任なマスコミが創りあげた話でしょう。
議論とは、いろいろな意見をまとめ上げることなのです。
そもそも二大政党制というのは、支配者側にとって都合のいい制度です。
日本で導入した時に、きちんと反対したマスコミの論説委員はいたでしょうか。
導入後に反対した人は知っていますが、彼も導入前に反対してほしかったと思ったものでした。
アメリカがそうであるように、二大政党制は大きな意味では一党独裁と同じです。
単に看板を替えるだけです。
日本でも民主党と自民党は同じです。
いずれの飼い主も同じだと思えてなりません。
ちょっと品のない文章になってきました。
今回、言いたかったことは、ねじれ解消が、さも大切なことだというような論調に惑わされてはいけないということです。
ねじれなど気にせずに、大切な争点をしっかりと見すえたいものです。
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