■参議院選挙に思うこと11:世論がつくられていくことへの危惧
相変わらず現状維持の方向で状況は進んでいるようです。
しかし、新聞の論調が少し変わってきたようにも思います。
たとえば、今朝の朝日新聞の社説に「ねじれは問題か」と書かれていました。
これまで「ねじれ解消」を煽っておいて、なにをいまさらと思いますが、日本のマスコミの論調は基本的に大勢に同調的です。
それを痛感したのは、小選挙区制の導入でした。
テレビでご一緒した某紙の高名な論説委員が小選挙区制を批判したのです。
その新聞はそれまでは小選挙区制導入を煽っていたように思っていましたので、唖然としました。
そういうことが多すぎます。
マスコミが同調する「大勢」とはなんでしょうか。
世論調査を考えてみましょう。
現在の選挙期間中にも、支持政党だと何を重視するとかに関する世論調査なるものが定期的に発表されます。
そこでの「大勢」が、マスコミの参照基準のような気がします。
しかし、こうした世論調査は、デルファイ法のように繰り返されることによって、大政翼賛会的に意見を集中させていく傾向があります。
多くの人がそう思うなら、それがいいのだろうという大勢依存型の判断を、私たちは無意識にしがちです。
世論調査が繰り返し行われることによって、意見は収斂しがちです。
そこに、ある「意図」が入ったらどうなるか。
つまり、その大勢こそは、マスコミが自ら作れるものでもあるのです。
そこに、大きな危惧を感じます。
誰もが意見表明できる選挙は、世論を育てていく絶好の機会です。
問題は、だれが形成の主役か、です。
選挙民一人ひとりが、さまざまな意見に触れて自らの考えを整理し、それを投票で表明し、それが結果として政治の方向を決めるのが望ましいことはいうまでもありません。
しかし、「さまざまな意見に触れて自らの考えを整理」するほど、多くの人は時間がありません。
だから「みんなはどう思っているのだろうか」という発想に陥りがちです。
平均からはずれない生き方を叩き込まれてきた最近の私たちは、自分の意向よりも、「みんなの意向」を重視しがちです。
なかにはまだ、「有識者」の意見に依拠する人もいるでしょう。
「有識者」ほど自分のない人はいないのですが。
そうした状況を利用して、世論を育てるのではなく、世論を誘導する動きには注意しなければいけません。
世論調査結果やマスコミの論調に惑わされることだけはしたくありません。
まだ2人からしぼりきれていません。政党もまた迷いが出てきました。
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