■節子への挽歌2128:出雲大社
節子
ユカが出雲大社に行ってきました。
今年は60年ぶりに遷宮の年なので混んでいるだろうと思っていましたが、案の定、人でいっぱいだったようです。
出雲大社に2人で行ったのは、もう何年前でしょうか。
私たちの生活は、そこから始まりました。
冬の夜、2人で京都駅から夜行列車で出雲に向かいました。
早朝に出雲に着き、そこから大社に向かい、本殿前で指輪を節子の指にはめて、それが私たちの結婚式でした。
もっとも、それには異議を唱える人もいたため、後で節子の実家で披露宴をする羽目になったり、他にもいろいろとありましたが、それが私たちの出発点でした。
そんな始まりだったので、節子はいろいろと苦労したでしょう。
いまから思えば、私のわがままさのとばっちりは、みんな節子にいっていたのでしょう。
実はほとんど出雲大社のことを覚えていません。
それがいつだったかも記憶がないのです。
節子はきちんと日記を付ける人でしたから、残されている節子の日記を調べたら書いているでしょうが、まあそれを読み直す気には、まだなれません。
過去の事を読んだところで、過去が蘇るわけでもありません。
私には、過去はもうどうでもいい話です。
記憶に残っているのは、むしろ日御碕神社と経島のウミネコです。
なぜか出雲大社そのものの記憶はほとんどないのです。
もし節子がいたら、ユカとの会話で何かを思い出したかもしれません。
昔のことを語り合う伴侶がいなくなったことで、私の記憶も半分どころか大部分が消えてしまったようです。
ユカから出雲大社の話を聞きながら、そんなことに気づきました。
ところで、本当に私たちは一緒に出雲に行ったのでしょうか。
確かに日御碕神社近くの海岸での写真は残っていますが、肝心の出雲大社の写真がないのです。
そういえば、過去の写真が消えていく映画がありました。
節子が残したたくさんのアルバムの写真はどうなっているでしょうか。
まだ見る気が起きませんが、もしかしたら永遠に見ることなく、終わるのかもしれません。
一人で見ても、リアリティは感じられないでしょうから。
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