■節子への挽歌2132:最近私はいったい何をしているのだろうか
節子
最近、自分が何をやっているんだろうかと思うことが少なくありません。
何かに「流されている」ようで、無意味な活動ばかりやっているような気がするのです。
今日もサロンで湯島に来ていますが、みんな迷惑しているのではないかという気が時々します。
私が声をかけるので、しかたなく参加している可能性がゼロではないのです。
私は私で、サロン疲れをしています。
どこか、何かが、間違っているように思います。
もしかしたら、気をまぎらすために、動いているだけかもしれません。
そうだとしたら問題です。
節子がいなくなってから、私も以前ほど、能天気ではなくなり、いささか哲学的になりました。
生と死についても、それなりに考えてきました。
色即是空、空即是色も、まあ少しだけですが、実感できるようになりました。
しかし、世界がそれなりに見えてくると、生きることが退屈になってきます。
そして、時々、自分はいったい何をしているのだろうかと思うわけです。
自らのやっていることに疑問や迷いが出てくることほど、辛いことはありません。
心身がずれてくるのです。
生活が単調だからではないかとアドバイスしてくれる人がいます。
たしかにそうです。
しかし、そもそも節子がいない世界は単調なのです。
おそらく愛する人や愛する事物を失った人には、わかってもらえるでしょうが、なぜか世界が単調になってしまうのです。
そしてそこから抜け出られなくなるのです。
実は抜け出る方法は簡単なのです。
しかし、それができません。
困ったものです。
その方法とは、ただただ抜け出ればいいだけなのです。
湯島のオフィスに丸い水槽に入った白メダカがいます。
今日は時間があるので、それをしばらく見つめていました。
彼らはこの水槽から跳び出そうと思えば、跳び出せます。
これまでも2匹のメダカが跳び出しました。
その結果は、しかし、干乾しになるのです。
メダカにとって、それがいいことなのかどうかはわかりませんが、現状を抜け出る方法は簡単なのです。
外は夏のような暑さです。
学生のころ観た、イタリアのミケランジェロ・アントニオーニの映画がなぜか思い出されます。
節子に会った頃、私が気に入っていたのが彼の監督作品でした。
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