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2013/07/22

■節子への挽歌2135:退屈さの中でこそ大切なものが見えてくる

節子
昨日の選挙結果にはやはり気が萎えてしまいました。
そうなるだろうと思いながらも、いつも選挙には期待してしまいます。
そして毎回、がっかりしてしまう。
この繰り返しです。

時評編に書いたのですが、昨日、「小さな村の物語」のなかで印象に残った言葉があります。
「生きていれば退屈なことが多い。でも、退屈なことを続けていると、大切なことも見えてくる」という言葉です。
これは一昨日に挽歌に書いたことにつながっています。

女性は、「退屈さ」を生き抜くのがうまいように思います。
いや、そもそも「退屈」という概念がないのかもしれません。
昨日と同じ家事を行いながら、「大切なもの」を感じている。
女性の生き方は、そんなような気がします。
少なくとも節子はそうでした。
節子が「退屈」という言葉を使った記憶がありません。

一方、男性は「退屈」な繰り返しを嫌う傾向があるように思います。
少なくとも私はそういう傾向があります。
良くなろうと悪くなろうと、ともかく「変化」が好きなのです。
そんな生き方をしていれば、「大切なもの」など見えてはこない。
しかし、絶えず動いていると「大切なもの」が見えてくるだろうと期待するわけです。
そして、逆に「大切なもの」を失ってしまうのです。

私が、変化よりも継続が大事だと思うようになったのはいつからでしょうか。
たぶん節子と一緒に、会社を起こして、時間を共にする事が飛躍的に増えてからです。
節子の人生も、私の人生も、変わりました。
そして、いつの間にか、節子と一緒だと退屈を感ずることがなくなったのです。
実は、繰り返しの中にこそ、変化があるからです。
節子との暮らしは、それに気づかせてくれました。
大仰に言えば、生き方が変わったのです。

退屈さの中でこそ、大切なものが見えてくる。
本当にそう思います。

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