■節子への挽歌2125:寄生的人生だったかもしれません
節子
久しぶりに大阪に向かっています。
いま名古屋を過ぎたところです。
間もなく米原。思いのつまった駅ですが、最近は通過だけです。
節子のお姉さんが敦賀にいて、ちょうど先週、退院したところなので、お見舞いに寄ろうかと思ってもいましたが、逆に迷惑をかけそうなので、今回は止めまた。
節子の7回忌を8月に行う予定ですが、治っているといいのですが。
最近は新幹線に乗る機会もすっかり減りました。
会社にいたころは、毎週のように東京と大阪を往き来していたこともありますが、今は年に数回です。
新幹線に乗っていつも思うのは、日本の緑の多さです。
東海道新幹線でさえそうですので、他の新幹線はもっとそう感じます。
こんなに緑が多いのに、みんななぜ首都圏に集まるのでしょうか。
この歳になると、緑の中で暮らしたいと思います。
しかし、私のように生活力のない者は、やりたくてもできそうもありません。
節子がいなくなって、終の住処まで変わってしまいました。
男性と女性とは、私には別の生物のように感じています。
生活力が全く違います。
男性は、女性に寄生していないと生きていけないのではないかと、私は思うのですが、これは私だけのことかもしれません。
寄生的に生きていると、宿主がいなくなるともうやっていけません。
いま同居している娘が、私にもう少し生活面で自立できるようにしたらと時々いいますが、いまさら自立することもないでしょう。
寄生者は宿主と一緒に滅びるのが自然です。
ちなみに、わが家の老犬のチビ太くんは、いまは寝たきりで、私たちが介護しなければ、食事も排泄もできません。
もし飼い犬でなければ死んでいるでしょう。
そのチビ太の世話をしながら、私ももしかしたらチビ太と同じく、もう死んでいてもおかしくないなと時々思います。
自然に生きるとは自然に死ぬことでもあります。
チビ太はいま幸せでしょうか。
いろいろと思うことが多いです。
もうじき大阪です。
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