■ツイッターハガキ
私のところに、週、2~3回、ハガキをくれる人がいます。
毎回、それぞれに思いを込めた絵はがきで、古い記念切手で送ってきます。
とても几帳面な人なので、万年筆できちんと書いています。
インクの色は複数なので、たぶん万年筆も数種類を使い分けているのでしょう。
1日に2通、届いたこともあります。
内容は、いろいろですが、ツイッターハガキと言っていいような、いわゆる「つぶやき」です。
私もハガキにすればいいのですが、無粋なことに返信はメールです。
しかも、頻度においてはたぶん3回に1回くらいでしょうか。
ちなみに、その人は時々、メールも送ってきます。
その人は私よりもずっと若い人です。
私よりも年上の人から、手紙をもらうことは少なくないのですが、若い人からのハガキは、ほぼこの人だけです。
もうどのくらい続いているでしょうか。
最近は、数日来ないだけで、あれどうしたのかなと思うほどです。
以前、女房が絵手紙の交換を何人かとやっていました。
絵手紙も一種のつぶやきですので、どこか似ています。
メールの情報量とハガキの情報量はまったく違います。
ハガキの場合は、書かれている文字情報以外にもたくさんのメッセージが含まれています。
例えば、昨日届いたハガキは「鳩居堂製」のナスのハガキでした。
そこから来るメッセージもあります。
私だけにわかる特別のメッセージですが、そのメッセージを私が正しく受け止めているかどうかはわかりません。
しかし、私たちの間には、ある思いが往来しているのは事実です。
メールのやりとりは便利なために、私はどうもメールに依存しがちです。
しかし、その結果、何か大切なものをメッセージできていないのかもしれません。
それを感じたのは、実はフェイスブックをやりだしてからです。
メール以上に、フェイスブックは便利で、わがままになれます。
しかしもしかしたら、コミュニケーションというものを変質させてしまうのかもしれないという気がしだしました。
ちなみに、昨日とどいたハガキには、内田樹さんの「コミュニケーションは贈与である」という話が気になっていると書いてありました。
今日のハガキが楽しみです。
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