■福島第1原発の元所長の吉田さんが亡くなられました
福島第1原発の元所長の吉田さんが亡くなられました。
58歳。いかに無念だったことでしょうか。
深く冥福をお祈りします。
吉田さんがいなかったら、今の日本はなかったかもしれません。
いくら感謝しても足りません。
吉田さんの証言を書き残した「死の淵を見た男」の著者、門田さんは「戦死」と表現しています。
しかし、にもかかわらず、私には疑問が残ります。
なぜ事故の前に、吉田さんは事実をもっと明かさなかったのか。
そもそも、なぜ原発に関わっていたのか、です。
こんなことを書くと非難されるでしょうが、どうしてもその疑念が残ります。
吉田さんの「戦い」はさらに話題になり、映画にもなるかもしれません。
私自身、吉田さんの物語はそれに値すると思います。
しかし、それと同時に、それによって最も大切なことが見えなくなっていくのではないかという不安があります。
戦争や大災害といった非常時には、英雄が生まれます。
たぶん、どこにもっていっていいかわからないやり切れなさが、英雄を待望するのでしょう。
しかし、本当の英雄は、平常時にこそ生まれてほしいものです。
髙木仁三郎さんは、そうした存在だったように思いますが、英雄にはなりませんでした。
英雄になる意味は、情報発信力が飛躍的に高まるということです。
論理を超えて、あるメッセージが広がります。
理解ではなく共感が、世論を形成していきます。
髙木さんが英雄になったら、日本から原発はなくなっていたと思います。
吉田さんの物語は、どういうメッセージを形成していくでしょうか。
私が危惧するのは、原発の世界はこうした人たちによって、安全が守られているというメッセージです。
何か大切なことがすりかえられているように思えてなりません。
死の淵から世界を救うことよりも、死の淵を生み出すようなものを世界に持ち込まないことのほうが大切であることは、いうまでもありません。
しかし、そのこと(「原発の安全性」)はどこかにいってしまい、「運転の安全性」を守ることに多くの人の目がいってしまう。
どんなに安全に運転しようと、安全でないものは安全ではないのですが、そんな当然のことさえ、みんな忘れてしまいます。
そんななかで、吉田さんの行動の意味が、矮小化されてしまうような気がします。
事故後の吉田さんの行動には頭が下がります。
しかし、だからといって、事故前の原発の運転状況や情報発信が免責になるわけではありません。
もちろん吉田さんを責めているわけではありません。
原発を取り巻くシステムこそが問題なのです。
吉田さんでさえ、それができなかったのです。
吉田さんの行動や死は、そうしたことへの問題提起としてこそ、受け止めなければいけないのではないのか。
しかし残念ながら、東電のみならず、原発を取り巻く仕組みは何ひとつ変わっていません。
その象徴は原子力規制委員会の委員長に、田中さんが存在することです。
田中さんは、事故後いち早く、身を呈して除染活動に取り組みました。
しかし、だからといって、田中さんの何が変わったのか。
事故後、「変節」した人は少なくありませんが、変節はともかく、身の処し方はあるでしょう。
まさか田中さんが就任を受け容れるとは思ってもいませんでした。
その不安は、その後の規制委員会の行動に現れているように思います。
問題は個人ではなく、システムなのです。
テレビ報道を見ながら、とても複雑な気持ちになります。
吉田さんは、原発再稼動をどう考え、どう行動しようとしていたのでしょうか。
しかし、それがどうであろうと、吉田さんの行動には感謝します。
その行動を無駄にはしたくありません。
せめて今度の選挙での一票は、反原発の立場を誠実に示しているところに投じます。
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