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2013年8月

2013/08/31

■節子への挽歌2188:今年の8月は2007年の再来

節子
今日で8月も終わりです。
あっという間の8月でした。

それにしても、暑い夏でした。
節子が闘病していた6年前の2007年の夏も、とても暑かった。
テレビでも、よく2007年以来の暑さだと報じられていました。

あの夏が、もう少し涼しかったなら、節子は夏を超えることができたかもしれない。
夏を超えれば、奇跡が起こったかもしれない。
今でも、時々、そんなことを考えることがあります。

その一方で、あの暑い夏を家族4人で懸命に乗り越えようとしていたことが、なんだか現実には思えないこともあるのです。
頭に浮かぶ風景は、見事なほど、うすぐらい部屋の風景なのです。
あの年の8月は、私も家から出なかったのかもしれませんが、断片的にはともかく、みんながどうやってあの夏をすごしていたのか思いだせません。
思い出すことを、なにかが封印しているのでしょう。
2007年の8月は、私の人生では、空白に近い、あっという間の8月だったのです。

しかし、実際には、実に長い8月だったはずです。
ていねいに思い出せば、密度の高い8月だったでしょう。
にもかかわらず、思い出だしたくない、何かがある。
そこに、不誠実で利己主義の自分を見つけることが怖いのかもしれません。
だから、あっという間の8月にしておきたいのかもしれません。

今年の夏も、なぜかあっという間でした。
暑かったのも、その一因ですが、それだけではありません。
節子がいなくなってから、ある人から言われたように、「たが」がはずれたように、さまざまな問題にコミットしてしまっています。
自分を追いつめたくなる無意識の意識が働いているのかもしれないと、自分で思うこともあります。
その重荷につぶされそうになったり、人間不信に陥りそうになったり、寝不足で疲労蓄積したり、いやそれ以上に、世間の人たちの無明さを呪いたくなったり、そんななかで、逃避したくなることが増えているのです。
辛すぎる現実からは逃げたくなる。
だから今年の夏は、あっという間だったのです。

2007年の夏もあっという間だった。
逃げたかったのです。いや逃げているのです。
だからきっと2007年も今年も、暑かったのです。
今夏の暑さは、地球温暖化のせいではなく、たぶん節子のせいなのです。
6年前を思い出せ!
きっと節子がそう言っているのです。
今年の暑さを、私はそんなふうに受け止めています。

今年の8月は、私にとっては、2007年の再来だったのです。

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■節子への挽歌2187:家事の大切さと大変さ

節子
この家に転居してきてから、もう13年です。
転居にあわせて買い換えた家電製品が、次々と壊れだしてきました。
お風呂が最近具合がわるく、湯沸し設備を替えることにしました。
ガスコンロは、なかなか点火しないので、これも替えなければいけません。
冷蔵庫、炊飯器などなど、次々と調子が悪くなりだしています。
先日は、カーテンが動かなくなりましたが、特注のカーテンだったため、メーカーの人に来てもらいましたが、なおりませんでした。
娘がそういうことをすべて対応してくれているのですが、快適な生活を維持していくための「家事」の大切さと大変さを、改めて感じています。
節子が元気だった頃は、すべて節子がそうしたことをやってくれていたわけです。
まあ、かなり手抜きだったような気もしますが、ともかく私はそうした「家事」に一切煩わされることなく、「仕事」ができていたわけです。
家事は、会社の仕事に比べれば、とても創造的で生命的です。
ビジネスや政治は、いまや機械でもロボットでも、たぶんマニュアル通りに動ける専門家や知識人にもできますが、家事はそうはいきません。
こういう発想は、以前からの私の持論です。
会社時代に、女性社員のお茶汲み仕事こそが会社の中で一番大事だとチームの女性に話して、冗談だと思われてしまいましたが、私は心底、そう思っています。

そういう思いでしたから、家事をこなす節子には頭があがらなかったわけです。
まあ、こういう言い方をするので、節子からも冗談だと思われていたように思いますが、私は家事をする節子に感謝していたのです。

あれ、書いているうちに、違う話になってきましたね。
今日は、生活用具が次々と壊れだしている話だったのです。
それによって、節子仕様が徐々に娘仕様に変わっていこうとしているという話です。
こうしてだんだん住まいの表情も変わっていくのでしょうね。
節子のものが、だんだんと消えていく。
ちょっと寂しいような気もします。

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■節子への挽歌2186:癒せない疲れ

節子
昨日は恒例のオープンサロンでした。
サロンは、湯島にオフィスを開いて以来の文化です。
節子がいた頃のサロンは、本当に賑わっていました。
サロンに託した私の思いは必ずしも実現はできませんでしたが、まあ喜んでくれる人もいたので、私たちには満足でした。
そのサロンを、少し休もうと宣言して、最後のサロンを開催した直後に、節子の胃がんが発見されたのです。

そんなこともありますから、サロンにはいろんな思いがつまっているのですが、テーマも鳴く、案内もない、このオープンサロンの参加者は、節子の時代からの参加者が多いのです。
今回も、初参加の一人を除き、全員が節子もよく知っているメンバーです。

常連だった三浦さんが、私がいろんなことをやりすぎていることを心配してくれました。
三浦さんも大病をされてご自身の経験から、私を気遣ってくれています。
サロンの前に、もうひとつの集まりをやっていたのですが、その時にも参加者の一人から、少し痩せたのではないかと言われました。
たぶん、昨日は疲れきって元気のない表情をしていたのでしょう。
この3週間は、休む間もない3週間でした。
昨夜、帰宅した途端に椅子にどかっと座ってしまい、しばらく起き上がれませんでした。
幸いに、風邪だと思っていた症状は回復しました。
風邪ではなく、疲労が溜まっていたのかもしれません。

人生は、苦あれば楽あり、楽あれば苦あり、ですが、一人で歩き続けるのは疲れます。
節子がいなくなってから、どうも疲れを癒す方法がわからなくなってきてしまっています。
困ったものです。

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2013/08/30

■節子への挽歌2185:「家族といえども多分わからないだろう」

挽歌を読んでくださった方から、こんなメールが来ました。

私もまだ 子供達とは話す機会はありません 
家族なのにとも 家族だからとも思います 
そして夫への思いは私だけのもので家族といえども 多分わからないだろうと悟りました 
人の思いは、まさに人それぞれです。
しかし、人間は身勝手で、自分が思うことは他の人も思うだろうと考えがちです。
しかし、そんなことはまったくありません。

節子を見送った私の気持ちは、娘といえども、わからないでしょう。
しかし、それは同時に、母親を失った娘たちの気持ちが、私にはわからないのと同じです。
節子を見送った後、お互いにそうした認識が薄く、わが家の家族も気分的に少し溝ができた時もあったような気がします。
いまでは、それぞれの思いが違うことに気づいていますが、時折、勘違いしてしまうこともあります。

一緒に住んでいた家族でもそうですから、家族以外の人とは、思いを共有することなどできるはずもありません。
喪失のショックが大きいと、視界が狭くなり、そういうことに気づかず、ますます狭い自分の世界に落ち込んでしまうこともあります。
私が、そうした底なし沼から抜け出したのは、たぶん5年ほど経ってからです。

そこから抜け出すと、今度はいろんな人の思いが、なんとなくわかってくるような気がします。
そこで、人は、一段とやさしくなれるような気がします。
視界も広がります。

愛する人との別れは、たくさんのことを気づかせてくれます。
まもなく7回目の命日がきます。

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■節子への挽歌2184:送られ人

節子
今年の夏は、節子の夏でした。
お盆から始まり、七回忌、そして来週は節子の命日です。
わが家では、節子行事が山積みでした。
送られ人は幸せです。

七回忌に来てくれた人全員で、お墓で写真を撮りました。
その後、ついつい「次回は私はいないかもしれないし」と言ってしまいました。
年齢的には私が若い方なのですが、伴侶を見送ったのは私だけです。
これはかなり影響するでしょう。
伴侶がいれば、お互いに元気づけあいながら、長生きしやすいはずです。
伴侶を失った人の余命について、男性は特に短いという話を、聞いた記憶があります。
私も、そろそろ「送られ人」の適齢期に近づいているかもしれません。

「送る人」と「送られる人」。
自分で体験するまでは、送られる人のほうが不幸だという気がしていましたが、いまは反対だと思っています。
節子と私を比べたら、私のほうが不幸でしょう。
死は決して不幸なことではないと、友人の一条真也さんは書いていますが、死が周りの人を不幸にすることは否定できません。
その不幸が、どれほどのものであるかは、体験しないとわかりません。
しかも、それは人によって違うでしょう。
死が、周りの人を幸せにすることもあるでしょう。
ですから、こうした話は、一般論で語るべきことではないのです。

いずれにしろ、私はいつか「送られ人」になるでしょう。
その時に、できれば周りを不幸にしたくないと思います。
「送る人」と「送られる人」も、不幸にならない旅立ちとは、どんなものでしょうか。
少し考えてみようと思います。

節子は、いろんな課題を与えてくれます。


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■節子への挽歌2183:似たもの姉妹

節子
姉夫婦は、在宅中に庭の整理をしてくれましたが、義兄が「節ちゃんもうちのと同じだね」と話してくれました。
何が同じかと言うと、植木鉢のことです。
ともかく、裏にはたくさんの植木鉢があります。
節子がいなくなってから、そのほとんどを枯らしてしまいましたが、植木鉢だけはまだだいぶ残っています。

節子は、花屋さんに行くたびに、花を買ってきました。
小さな庭に植えるところがないにもかかわらず、買ってくるのです。
それも処分価格の枯れかかったような花が多く、それを元気にするのです。
そうした鉢がたくさんたまり、季節が終わると家の裏に次の季節まで移されます。
節子がいなくなった後、そのままになってしまい、水やりも忘れがちだったので、ほとんどが全滅してしまったわけです。

義兄が「同じだね」と言ったのは、ともかく花が好きで、小さな鉢が多いと言うことです。
そういえば、昔、箱根に一緒に行ったことがあります。
駒ケ岳のケーブルを降りたところで、花を売っていました。
2人ともそれに引っかかってしまい、鉢を買ってきたのを覚えています。
その鉢は、もうどれかわからなくなっていますが。

そうして節子が集めた、草花の小さな鉢も、もうだいぶ減りました。
庭の片隅の山野草コーナーは、見る影もありません。
最初は大事にしていたのですが、どんどん枯らしてしまいました。
節子には、一つひとつが思い出の山野草だったのでしょうが、私にはその思い出が共有できておらず、しかもどんどん忘れてしまったために、思い入れが低かったのでしょう。

節子の残したものは、大切にしたいと思ってはいるのですが、それを実行するのは難しいものです。
もし、立場が替わって、私が先にいなくなったら、節子はたぶん私の本は処分してしまうでしょう。
私には愛着のある書籍も、節子には単なる1冊の本でしかないからです。
だから、それはまあ、仕方がないことなのです。
節子も、笑いながら諦めているでしょう。

でもまあ、これからはもう少し大事にしようと思います。
せっかく義姉が少し整頓してくれたのですから。

これから水やりです。
昨夜、ゆっくり寝たら、風邪はだいぶよくなりました。

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2013/08/29

■節子への挽歌2182:姉夫婦の幸せな生き方

節子
敦賀の姉夫婦が帰りました。
わが家での4日間は、姉夫婦にとっては窮屈な4日間だったかもしれません。
生活のリズムも違っているでしょう。
それに、節子がいるといないとでは、だいぶ違うでしょう。

姉夫婦はとても仲が良いのです。
もしかしたら、私と節子以上に仲良しです。
それに、実に豊かな暮らしをしています。
節子がいつも、2人の生き方を羨むほどでした。

誤解があるといけませんが、豊かだというのは経済的な意味ではありません。
そうではなく、時間とお金の使い方が、とても豊かなのです。
むしろ、お金がないだけ、豊かだといってもいいでしょう。
お金は人生を貧しくしがちです。

農業を営んでいますが、儲けようなどという気は全くありません。
夫婦とも、とても気がいいので、いろんな役割もまわってくるようです。
姉の生家のある集落のお寺の改修費用が足りなくなったと言われて、寄付の奉加帳がまわってきた時も、依頼された金額を上回るお布施をしています。
節子だったら、たぶん言われた通りの金額にしていたでしょう。

だからと言って、お金があるわけではなく、金銭的には決して豊かではないと思います。
しかし、ともかくお金は「使うもの」と考えているようです。
それに、だれかに何をしてやることが大好きなのです。
時間さえできれば、2人でドライブで遠出します。
そのくせ仕事をしないわけではありません。
ともかくいつでも身体を動かして何かをしています。
今回も、わが家に宿泊していましたが、朝起きてみると、庭の草むしりをしたりしているのです。
ともかく「働き者」なのです。

もちろんブランド物など買いません。
食べものも、ともかく出てきたものは何でも感謝しながらおいしそうに食べるのです。
だれかが何かを食べたいというと、自分たちでは食べもしないで、その人にご馳走します。
以前、私が蟹がほしいと言ったら、正規のタグの付いた高価な越前蟹を送ってくれました。
自分たちは、タグがついている蟹など食べたことがないそうです。
ちなみに、私が蟹がほしいと言ったのは、食べる蟹ではなく、池に放し飼いするサワガニだったのですが。

ともかく仲良しで、お金は貯金などせずに、人生を楽しんだり、周りの人のために使うのです。
まさに、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の人のような生き方なのです。

節子は、いつも、姉夫婦は人生を楽しんでいるね、と言っていました。
私も、心底、そう思います。
節子と私の生き方も、少し似ているところもありますが、義姉夫婦に比べれば、かなり貧しく、打算的なところがあることは、間違いありません。

その幸せな夫婦から、いろんなことを学びました。
節子がいなくなっても、付き合いがつづいているのがとてもうれしいです。
これも、節子のおかげです。

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■節子への挽歌2181:記憶は書き換えられるものです

節子
昨日のみんなの話は聴いていたでしょうか。
昨日は、自宅の節子の位牌壇の前で、節子の義姉夫婦と娘たちと夕食をゆっくりととりました。
節子の話でもちきりでした。
節子のがんが発見された時からの話をみんなにきちんとするのは、もしかしたら初めてかもしれません。
節子が聴いているとしたら、ほんの少しだけ、節子が知らなかったことがあったかもしれません。

節子が発病した少し後に、節子の母にもがんが発見されました。
節子は手術からの回復がなかなか進まずに、見舞いにもいけず、また自分の病気のことも話せずに、辛かっただろうと思います。
少し回復し、長旅もできるようになって、娘と一緒に帰郷しました。
理由は思い出せませんが、私ともう一人の娘は同行できずに、後で行くことにしていたのですが、節子が見舞って帰宅してすぐに、お母さんの訃報が届きました。

私の記憶では、家族4人でお母さんを見舞いに行ったとばかり思っていましたが、そうではありませんでした。
家族全員で行ったのは、節子の発病の前だったかもしれません。
ことほど左様に、過去の記憶はいい加減です。
自分に都合の良いように、記憶は書き換えられるのです。
みんなで話していて、それぞれの記憶違いがたくさん出てきました。
節子に関する私の記憶も、たぶんかなり書き換えられているのでしょう。

しかし、昨夜の話し合いながらの長い夕食は、一番の七回忌になりました。
節子もきっと喜んでいるでしょう。
もしかしたら、みんなの記憶違いにイライラしていたかもしれませんが。

節子は、いつまでも思い出してくれる人が多くて、幸せな人です。
人の生き方は、いなくなってからこそ、見えてくるものです。
私も節子を見習わなければいけません。
しかし、こればっかりは、思い通りに行かない話です。
やはり、その人の持っている定めなのかもしれません。
それに、早く逝った人の特権かもしれません。

節子は、実に罪つくりな人です。

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■節子への挽歌2180:問題多発の夏

節子
昨日から調子が悪かったのですが、どうも風邪をひいてしまったようです。
最近少し無理がたたっているようです。
今度の週末はたぶん休めるのですが、それまでなんとか持たせなければいけません。

それにしても、今年の夏は問題多発でした。
こんな夏は初めてです。
しかもその内容は、家族の問題も含めて多岐にわたり、いずれも私の生き方にまで及びかねない問題でした。
いずれも何とかいい方向に向かっていますが、気は許せません。

問題があるのは、人生において適度な刺激になるので、決して悪いことではありません。
しかし、休む間もなく、次々と問題が起きてくると、その刺激を楽しむ余裕がなくなります。
しかも、いまは分かち合う節子もいません。

昔からそうですが、私は困ったら誰かが助けてくれるという思いがどこかにあります。
一緒に暮らしているうちに、節子もたぶんそうした発想が身についていたと思います。
だから、節子は比較的心安らかに闘病生活を過ごせたと思います。
きっと修がなんとかしてくれる。
節子は、そう思っていました。
結果的に、私が「なんとかしてやれたかどうか」は私にはわかりませんが、節子はたぶん結果には満足しているでしょう。

誰かが助けてくれるという思いは、実は、将来の話ではありません。
「いまここ」での話なのです。
今日、風邪をひいたのも、実は救いのひとつかもしれません。
だれかが助けてくれているからこそ、いま風邪をひいたのかもしれません。
そう思うと、人生は実に生きやすくなります。

今夏の多事難題は、すべて私を助けてくれているだれかの思いやりなのでしょう。
それはわかっているのですが、それにしても少し負担が多すぎませんかと苦情を言いたいです。

今日は、けっこうハードな1日になりそうです。
風邪なのに休めません。

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2013/08/28

■節子への挽歌2179:すぎのさんの梨

節子
すぎのファームに義姉夫婦と行ってきました。
すぎのファームの梨は、節子が大好きでした。
節子が最後に食べた果物も、たぶん杉野さんの幸水でした。

節子が大好きだったので、お世話になった人たちにその梨を送っていました。
節子がいなくなってからは、私がそれを引き継いでいます。
敦賀の義姉夫婦にも送っているのですが、あの美味しい梨をお土産にしたいというので、すぎのファームに出かけました。

夕方だったのですが、杉野さん家族は全員で梨の選別や発送の作業をしていました。
節子が元気だった頃、私も時々一緒に来たのですが、そのご縁で、杉野さんとはいろいろな接点もできました。
昨年、立ち上げたアグリケア フェラインにも杉野さんは参加してくださっています。
これも節子のおかげです。

杉野さんのところの梨は、評判がいいので、道の駅などではすぐ売れてしまいます。
今日からお店に出しましたという情報をフェイスブックで読んで、今年も道の駅にとんで行ったのですが、もう売り切れていました。
最近は収穫も増えているので、道の駅でも購入できることが多いのですが、やはりすぎのファームの作業所に行くのが一番です。
お土産とは別に、わが家にも分けてもらいました。
今年は天候のせいで、この時期はもう豊水になっていました。
とても大きな豊水です。

帰ろうとしたら、杉野さんの奥さんが、追いかけてきて、大きな幸水をくれました。
私が幸水が好きなのを知っているのかもしれません。
節子のいた頃から、直接杉野さんのところに行くと、いつもおまけをくれるのです。
だから逆になにか行きづらいのですが、そうは言いながらも、おまけをもらうとなんとなく豊かな気持ちになります。
このおまけも、きっと節子のおかげでしょう。
いずれにしろ、すぎのファームに行くと、いつも隣に節子がいるような気がします。

節子が亡くなった翌年、お世話になった人たちに、この梨を送らせてもらったのですが、その時に手紙を入れさせてもらいました。
奥さんが、読ませてもらってもいいですかというので、奥さんにもお渡ししたような気がします。
その手紙を読んだ奥さんは、私の節子への思いを知っていてくれているでしょう。

杉野さんの梨を食べると、必ず節子を思いだします。
節子は、杉野さんの梨が大好きだったのです。

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■節子への挽歌2178:節子も一緒に食事でした

節子
七回忌が終わった途端に、いろいろと事件が起こります。
まあしかし、それはそれとして、今日は姉夫婦と一緒に、ジュンの連れ合いの峰行がやっているイタリアンレストラン「エヴィーバ」でシュフお任せのご馳走をみんなで楽しませてもらうことにしました。
エヴィーバのイタリアンはとてもおいしく、またお店の雰囲気が快適なのです。
みんなそれぞれ好みのパスタを頼みました。
シェフ泣かせの注文の仕方ですが、お互いにそれを少しずつシェアしながら、楽しませてもらいました。
お肉もお魚も美味しかったですが、特に、新鮮な野菜のバーニャ・カウダが好評でした。
夜のメニューなのですが、特別に用意してくれたのです。

節子がいたら、どんなに喜ぶことでしょう。
エヴィーバで食事をするたびに、そう思います。
もしいたら、節子がどうしているかが、私にははっきりとイメージできます。
それくらい、節子にぴったりと合ったお店です。

義姉が、携帯電話で料理の写真を撮っていました。
節ちゃんにも食べてもらおうと写真を撮っていたのだそうです。
義姉の携帯電話の待ち受け画面は節子になっていることを知りました。
仲の良い姉妹でした。
妹が先に逝ってしまう悲しみを姉も背負い続けているのです。

私も、ポケットに小節子を連れて行きました。
節子も、イタリアンを楽しんでくれたでしょうか。


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■節子への挽歌2177:一瞬の蜘蛛

節子
いま、パソコンでこの前の挽歌の文章を書いていたのですが、それをアップしようとして、キーボードをクリックした時、突然画面に1センチほどの蜘蛛が現れました。
あれっと思ってよく見ようとしたら、それが一瞬にして消えてしまいました。
パソコンの画面の周辺は、ちょっとちらかっているのですが、少し探しましたが、見つかりません。
しかし、間違いなく、蜘蛛でした。
どうして私の部屋に蜘蛛がいたのでしょうか。
最近見たことがありません。

蜘蛛は、古今東西にわたり、さまざまな意味を与えられる象徴的な生き物です。
文学作品でも、よく使われます。
悪い意味もあれば良い意味もあります。
ともかく蜘蛛は、ちょっと異質な存在で、どこかに異質な世界とのつながりを感じさせる生き物です。
私は昔から、蜘蛛は彼岸と此岸とを往来しているような気がしていました。
子どもの頃は、大きな蜘蛛の巣に出会うと、その向こうに、異次元の彼岸が開けているように感じてました。

キリスト教でも、蜘蛛は天と地をつなぐものとして、キリストの昇天につなげて考えているようです。
その一方で、悪をなすものは蜘蛛の巣を折るという言葉もありますが。

その蜘蛛が現れ、一瞬にして消えたのです。
決して見違えではありません。
もっとも、蜘蛛はとても俊敏な生き物ですから、一瞬にしてかなりの距離を跳躍します。
だから、単に私の気配を感じて、飛び去ったのかもしれません。
しかし、それにしてはあまりに見事に瞬時に消えたのです。

T.S.エリオットは、蜘蛛がお墓に巣を張りめぐらすことから、人の心を慰める忘却を表わすと書いているそうです。
大きな蜘蛛が、生き物に巣を絡ませて、彼岸に誘う場面はホラー映画などにも出てきますが、視点をかえれば、此岸の苦難を、やわらかな蜘蛛の巣で包み込んで、穏やかな彼岸へと招き入れているのかもしれません。
愛する者を見送った人にとっては、黄泉の国もまた、平和な彼岸に通じていますし、死そのものが怖いなどという発想はありません。
私だけのことかもしれませんが。

あの蜘蛛は、どこから来て、どこへ行ったのか。
注意してパソコンの周りを見ながら、この挽歌をゆっくりと書いていたのですが、蜘蛛は二度と姿を表しません。

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■節子への挽歌2176:焼香の回数

節子
最近、娘たちから、お父さんはあまりにも常識がないのではないかと言われています。
娘から言われなくても、そんなことはよく知っています。
しかし大切なことは、「常識がないこと」ではなく「常識がないことを知っていること」です。
私は自分が常識がないことを知っていますので、問題はないのです。
それに、知らないことがあれば、質問すればいいだけです。
知らないことを知ることが大切なのです。
というような小理屈に、節子は40年も付き合ってきたわけです。
長年、そういわれていると、そんな気になるもので、節子もそう思うようになっていました。
知らないことは質問すればいい。

法要では、ご住職がいつも始まる前に話をしてくれます。
途中、挙手して質問したくなることがいつもあるのですが、さすがに法要の法話ともなるとやや控え目になってしまいます。
我慢することが多いのですが、今回もまた質問してしまいました。
お焼香は何回したらいいでしょうか。
節子がいたら笑い出すような質問です。
答えはわかっています。
何回でも心の思うままに、が私的には正解であることを節子は知っているからです。
私の質問は、答えを求めているのではないことを、節子は知っていました。
答えを求めない質問をなぜするのか。

私の意図は、参列者のみなさんに、ちょっと考えるきっかけを持ってもらいたかったのです。
ただ焼香するだけでなく、その意味をちょっと考える。
こうしたことが最近は少なくなっているのです。
答えは、それぞれが考えればいいのです。
みんな考えるのではなく、だれかが考えて得た知識を知っているだけなのです。
そうした生き方が、社会をおかしくしてきたように思います。

ご住職の回答は、とてもわかりやすかったです。
要は何回でもいいというのです。
心を込めた1回でも、仏法僧に対する3回でも、時間があれば、何回でも、と説明してくれました。
回数だけではなく、焼香の意味も話してくれました。

ちなみに、私も少し考えることがありました。
毎朝、お線香をあげるのですが、そのあげ方を変えることにしました。
私もまだ少し前に向かって進んでいるようです。

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2013/08/27

■節子への挽歌2175:七回忌

節子の七回忌でした。
お寺の本堂でご住職にお経をあげてもらいました。
節子もよく知っている若いご住職です。
それが終わって、お墓でも卒塔婆を建ててお経をあげてもらいました。
姉夫婦は浄土真宗ですので、真言宗とはかなり流儀が違います。
浄土真宗には卒塔婆はありません。

お寺も、最近はいろいろと変化してきていますが、わが家がお世話になっている宝蔵寺は、とても誠実なお寺です。
ここにお世話になったことを感謝しています。
このお寺に、私の両親のお墓をお願いする時には、節子が話をしてくれました。
娘のジュンとお寺の娘さんとが同級生だった縁で、地域のお墓なのに受け容れてもらったのです。
まさか、そのお墓に自分が入るとは、当時は私も節子も考えていなかったのですが、なぜか節子は自分からそこに入ると言い出したのです。
そのため私もここにいつか移住です。
普通のお墓には入りたくなかったのですが、節子が決めた以上は仕方ありません。

供養のあと、みんなで食事をし、自宅にきてもらって、節子の前で談笑しました。
滅多に会う機会のないメンバーです。
節子のおかげで、楽しい談笑の時間が持てました。
今回は、引継ぎを兼ねて、娘にほぼ全てを頼みましたが、それでも異様なほどの疲労感があります。
なぜでしょうか。

私の担当に関しては、かなりの失敗がありました。
お寺の本堂での供養が終わった後、お墓でのお参りをするのですが、うっかり「お墓お参りセット」を持参するのを忘れてしまいました。
慌てて、お寺さんに頼んで、お線香をもらいました。
自宅での談笑が終わり、それぞれがお帰りになる時に、お土産を渡すのも忘れてしまいました。
これは、私がよくやることです。
娘に頼んでお土産を買ってもらったのに、渡すのを忘れてしまったことは、これまでも何回もあります。
どうも私には「お土産をあげる」という文化が欠落しているのです。
「物をもらう文化」はけっこうあるのですが、「物を差し上げる文化」が弱いのです。
実に困ったものです。

次回の法事は13回忌。6年先です。
その前に、私の葬儀があるかもしれません。
さらに6年は、けっこう遠い先ですから。

それにしても、今日は、彼岸にエネルギーを取られたのではないか思うほど、疲れました。
眠くて仕方がありません。

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■節子への挽歌2174:雨と風

節子
節子が逝ってから、まもなくまる6年です。
その1週間前に七回忌を行うことにしました。
法要は、お世話になっている宝蔵寺にお願いしています。
昨日は、節子の姉夫婦が福井の敦賀から来てくれました。
姉夫婦はとても暑がりで、わが家とは違って、夏は冷房がないとだめなのです。
今回も普段使っていない、エアコンの試運転までしていましたが、昨日はとても涼しい日になりました。
冷房は不要でした。

昨夜、夜中に目が覚めたら、雨が降っていました。
私の記憶違いかもしれませんが、昨夜見た天気予報では、雨が降るとは書いていませんでしたので、最初は夢かと思いました。
しかし気になって、起きて窓際に行って見たら、やはり雨でした。
七回忌を前に少し感傷的になっているせいか、節子がわが家から出棺する時の雨を思い出しました。
とても不思議な雨でした。
もしかしたら、また節子の雨かと、思ってしまいました。
笑われそうな話ですが、愛する人を失った人は、まあそんなふうに考えてしまうのです。
すべては意味があると。

朝、起きたら雨はあがっていました。
位牌壇に般若心経をあげていたら、少し太陽が出てきました。
そしてとてもさわやかな朝になりました。
なんだか、節子の心境を伝えてきてくれているようで、また少し心がさわぎました。

わが家は、風の道に当たっていて、いつもは風を感じやすいのに、今日は風もなく静かです。
節子は風になってはいないので、これもとても嬉しいです。
今日の七回忌は、心静かに迎えられそうです。

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2013/08/26

■節子への挽歌2173:節子の雰囲気を久しぶりに感じました

節子
明日の七回忌法要のため、敦賀の姉夫婦が来てくれました。
3年ぶりです。
ジュンにも来てもらい、節子の話もしながら、みんなで食事をしました。

わが家のお米は、いつも敦賀から送ってもらっています。
そのお米を炊いての、普通の食事でしたが、いつも食べているのよりも美味しいといってくれました。
久しぶりに節子のいるわが家で食べたおかげでしょう。
ここに節子がいれば、どんなにか良かったことか。
やはり節子と私とで、逝くべき順序が逆だったと改めて思います。
それに、節子は姉よりも先に逝ってしまいました。
それも逆です。
節子は、実に素直でないのです。

なんだか今日は、節子がいた頃のわが家の雰囲気になっていました。
節子は、親としては、私と同じく、失格でしたが、家族の一員としては、私には最高でした。
節子がいるだけで、あったかくなる。
節子がいるだけで、安心できる。
私にとっては、そんな存在でした。
そして、いなくなってもなお、どこかの雰囲気を感じさせてくれる存在です。

今朝は、とても落ち込んでいたのですが、心がかなり和んでいます。
明日の七回忌は、気持ちよく迎えられそうです。
ほとんどすべてを娘たちに頼んでいるのですが。

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■太陽光発電装置を自宅で手づくりしようワークショップのからのメッセージ

前項の続きです。
まずは今回のサロンの企画者の佐藤岳史さんのメッセージ。

例えば家庭菜園を楽しんでいる人はたくさんいますが、採算性を考えてやってる人は少ないんじゃないでしょうか。土や肥料や苗を買うよりスーパーで野菜を買ったほうが安いですから。でも自分で手間をかけて野菜を育てるのは楽しいし、収穫した物を味わうとちょっとした満足が得られます。電力もそんな感覚で試行錯誤しながら自作するのは楽しいし、実際けっこう気軽に出来るものだということがわかっていただけたんじゃないかと思います。食料にしてもエネルギーにしても自分で生産してみると、今の世の中に出回っているものの見方も変わってくると思います。それに生きることにちょっとした自信がついて、大きな流れみたいなものに乗り遅れないようにしなきゃいけないような強迫観念から自由になって、もう少し冷静に世の中をみられるようになるんじゃないかと自分自身期待しています。ちょっと話が大きくなりましたが、つまりは生きるために必要なものを自給することをもっと楽しもう!ということです。今回私は太陽光パネルで電力を作りましたが方法は他にもたくさんあります。みんなでアイディアを出し合い、それを実際に作成して成果をわかちあいましょう!
つづいて、参加者のお一人である、全国マイケアプランネットワーク(マイケア)の島村さんの感想。
私も本当にそう思います。そこがマイケアの原点ですから。これまで、生産できる量も考えずに、いろんなものが開発されてきたし、電気の需要が増えれば新しい発電方法を開発してきたんだと思います。私たちもそれに乗っかってきてしまいました。で、電気がなければ何もできない人間になり果ててしまった。でも自分で制御できないところでつくられている電気に暮らしを丸投げするのはどうも違和感が。かといって昔のような箒で掃除、たらいで洗濯の生活は私には無理。それで電気を自分でつくる仕組みを知りたいと思いました。恨めしいギラギラ太陽を、どうやったら電気に変換できるのか知りたかったし、また、このギラギラから電気が作れれば、朝起きた時に「あ―また暑いのか~」が「今日も電気が豊作だ!」に変わるでしょうし。自分で使う電気ぐらい自分でつくれたらいいなー、と、オバサンたちは結構考えていると思いますよ。とても楽しかったです!交流、直流もよくわからないけど、私にもできるかもしれない、と思いました。
感激しました。
まさにその通り。
付け足す言葉がありません。

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■太陽光発電装置を自宅で手づくりしようワークショップの報告と参加呼びかけ

昨日、湯島で「太陽光発電装置を自宅で手づくりしようワークショップ:パート1」を開催しました。
技術の問題を話題にした技術カフェというネットワークがありますが、その仲間が、自宅用に太陽光発電装置を手づくりしてしまいました。
その作り手に実演を含めて、ミニワークショップを開催することになったのです。
ところが、肝心の技術カフェのメンバーが日程の関係もあって、ありがとうございました。つまりが悪かったので、フェイスブックも含めて、公開型で案内を出しました。
おどろいたことに女性から応募がドッとありました。
一時は14人になってしまい、心配したのですが、そこはうまくしたもので、当日は結果的に10人の集まりになりました。
しかし、女性に関心が高いことは意外な発見でした。

最初に手作りをした佐藤岳史さんとその協力者の櫻井さんが、システムについての説明や材料費、また発電状況などをていねいに説明してくれました。
直流と交流の違いは何だとか、インバーターってなに? などという極めて素朴な質問もありましたが、そんな質問にもていねいに説明してくれましたので、とてもよくわかりました。

後半は実際に組み立てて発電です。
あいにく曇天だったので心配していたのですが、見事に発電成功でした。
小型扇風機が回った時には、思わず歓声が上がりましたが、もっと感動的だったのは、アナログのレコードが回った時でした。
発電を何で実感してもらおうかを岳史さんと櫻井さんはいろいろと考えてくれたのです。
2人ともライブなどもやっているミュージシャンなので、やはり音楽になりました。
それも、ちょっとこだわっての懐かしいアナログレコードをもってきてくれました。
その中に、ビートルズのホワイトアルバムを見つけた一人が、そのレコードを選びました。
あのアナログの、とても心安らぐ懐かしい音質です。
しかも太陽光でなっているのです。感動するしかないでしょう。

参加者も多様な面々でした。
北海道からたまたま戻っていた荒井さんも突然来ました。
北海道ではメガソーラービジネスなどの動きが話題になっていますが、たぶんそんな思いもあって、久しぶりの帰郷の合間に参加してくれたのです。
なぜか介護関係の活動をしている島村さんまで来ました。
参加の理由は、案内が届いた日がたまたま太陽がぎらぎらの時だったからだそうです。
実にわかりやすい理由です。
ねりま自然発電株式会社を立ち上げようと構想している平田さんも参加して、構想を紹介してくれました。
他にも、それぞれ思いを持って、活動している人たちです。
折角集まったのだから、ゆるやかなネットワークをつくることになりました。
そしてどこか現場を探して、みんなで太陽光発電システムをつくって、何かをやろうということになったのです。
自分で使うエネルギーはできるだけ自給しようと言うわけです。
10月にある研究会で、ソーシャル・ガバナンスの話をすることになっているのですが、ソーシャル・ガバナンスや市民社会の実現には、エネルギー自給は不可欠の要素です。
東電のお世話になってばかりいるかぎり、いかに原発反対を唱えても、なかなかうまくいきません。

まずは例によって、メーリングリストを立ち上げます。
興味のある方はご連絡ください。
また今回好評だったので、きっとパート2があるでしょう。
今回の話題提供者の一人、櫻井さんは「凄いことになる」と予言しています。
もうひとりの佐藤岳史さんは、フェイスブックにこう書いてきました。
とても楽しいサロンでした。

企画者と参加者のコメントをぜひ読んでいただきたいので、項を改めてその紹介をさせてもらいます。

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■節子への挽歌2172:懺悔

節子
今週は節子の七回忌の週なのですが、そのせいかどうか、節子に救いを求めたいくらいの心理状況になっています。
この数日、娘たちといろいろと話していますが、どうも私は夫として、父親として、欠陥だらけです。
それがいよいよはっきりしてきました。
節子とは、かなり良いカップルだったとしても、社会的な意味では、そこから出られなかったのかもしれません。
よく言えば、節子を愛しすぎたともいえますし、悪く言えば、自己中心主義だったともいえます。
この歳になって、しかも節子がいなくなってから、それに気づかされるのは、かなり辛いことです。
ひとりで、その気づきに対処しなければいけないからです。

節子の七回忌を前に、こんな状況になるとは思ってもいませんでしたが、そういう生き方を節子が気づかせてくれたのかもしれません。
なんとなく感じてはいたのですが、昨日、娘と話し合って、見事なほどに問題が明確になりました。
もっとも節子もまた、私とほぼ同罪です。
私たちはあまりに一体化しすぎていたようです。
ここは反省し、悔い改めるしかできません。

節子の七回忌法要を、私の生き方を見直す機会にできればと思います。
気持ちを静めるために、節子にも一緒に考えてほしいと思います。
どうやら私たちは、大人になれていなかったのかもしれません。

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2013/08/25

■サブシステンス経済とマネタリー経済のどちらを基本にするか

中国の習政権の困難は、格差是正と成長持続のどちらを選ぶのかということにありそうです。
格差是正は生活文化次元の問題であり、成長持続は貨幣経済次元の問題ですから、この関係は、生活文化を目的とするか、貨幣経済を大切にするかの問題だろうと思います。
言い換えれば、サブシステンス経済とマネタリー経済の、どちらを基本に考えるかです。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2010/07/post-f533.html
そこをしっかりしない限り、問題は正しくは設定できないでしょう。

エジプトがムバラク時代に戻ろうとしているのも、こうしたことと無縁ではありません。
もちろん今の日本が、原発経済を捨てられないのも、同じです。
要するに「経済とは何のためにあるのか」です。
その問題をきちんと考えなければ、時代の流れは変わりません。

生活の次元で、豊かさを考えてみる必要があります。
自分の生活を豊かにしてくれるのは、一体なんでしょうか。
中国の薄熙来裁判の報道を読みながら、そんなことを考えさせられています。

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■節子への挽歌2171:かっぱまつりは賑わってきましたが

節子
昨日は我孫子のかっぱまつりでした。
湯島から帰ってきたら、駅前の大通りが交通規制されていて、道の真ん中に屋台が並んでいました。
年々、賑やかになっていきます。
今年から、いわゆる「ゆるキャラ」も登場しています。

節子がいなくなってから、地域イベントに参加することもなくなってきましたが、正直に言えば、そうした賑わいも、どこか遠い世界のようにも感じられます。
生活の伴侶を亡くすということは、生活を支えている地域とのつながりさえも変えてしまうものです。
あの日以来、私を取り巻く時間も空間も、なにかリアリティのない、無機質なものに変わってしまったような気がします。

娘たちが大きくなってからは、地元のお祭りにも、節子と一緒に行った記憶がありません。
なぜもっと節子と地元での生活をきちんとしなかったでしょうか。
いや、もしかしたら、そうした記憶がすべて消えてしまったのかもしれません。
そんな気もします。
お祭りには楽しい記憶よりも、悲しい記憶が多く、それが記憶を封じているのかもしれません。
なぜかお祭のことを思い出そうとすると涙が出てくるのです。

屋台で賑わう道を歩いていたら、近くの寺田太郎さんに会いました。
そういえば、寺田さんに会うのは久しぶりです。
元気ですか、と寺田さんは声をかけてきました。
私が元気なく歩いていたのかもしれません。
昨日は元気がなかったのです。
そして我孫子駅に着いた途端に、なぜかとても感傷的になってしまっていたのです。

今日もお祭りですが、朝、起きたら雨でした。
今日もまた、あまり元気が出ません。
湯島での集まりがあるのですが、今日はうまく乗り切れるでしょうか。

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2013/08/24

■節子への挽歌2170:人恋しさと死との距離

節子
今日は湯島でフォワードカフェをやりました。
テーマは、子どものいじめ問題でしたが、その報告は時評編にまわすとして、ここでの報告は菊井さんが参加したということです。
菊井さんは、湯島のサロンのファンで、いろいろと参加してくれましたが、昨年、大腸がんが発見され、大変でした。
まだ手術もできず、その前段階ですが、病院から昨年、メールを貰いました。
菊井さんには大変申し訳ないのですが、節子を見送った後、病院への見舞いができなくなりました。
とりわけ「がん」となると生理的に拒否反応が出るのです。

菊井さんは、節子も知っていると思いますが、私よりも年上で、シニア支援にかなり関わってきた人です。
まさかこの暑さのなか、菊井さんがやってくるとは思ってもいませんでしたので、とてもうれしかったです。
かなり動きはゆっくりになりましたが、あの菊井さんでした。
菊井さんがポツンと話しました。
人が恋しくなって、出てきました、と。

私たちの年齢になると、たぶん死へのこだわりはあまりないでしょうが、人に会いたくなるかどうかは私にはわかりません。
というのも、節子は限定された数少ない人を除けば、あまり人と会いたがりませんでした。
痩せてしまった姿を見せたくなかったのでしょうか。
それもあるでしょうが、それだけではないような気がしています。

もう一人、会社時代の私の先輩が、やはり体調を崩した時に、私がお見舞いに行こうと思ったら、もう少し待ってほしいといわれました。
なかなか許可が出ないので、ともかく行こうと思って、連絡をしようと思ってた、まさにその時に訃報が届きました。
もう一度、会いたかった人です。
そういえば、最近なくなった野原さんも、私には連絡してきませんでした。

なにやら菊井さんには、失礼な書き方になっているかもしれませんが、人に会いたいと思うのは、死と縁遠いところにいることを、心身が知っているからかもしれません。

私の場合は、どうでしょうか。
最近、あまり人に会いたいと思うことがありません。
会っても、思っていたほどには感激しないのです。
これは、節子を見送った後から、ずっとです。
もしかしたら、死が近くにあることを、心身が知っているのかもしれません。

さてさて、どうなりますか。
今日もまた、疲れました。
昨夜も深夜に目が覚めて、本を読んでしまっていたので、寝不足なのです。

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2013/08/23

■節子への挽歌2169:その年代にふさわしい出来事

節子
この頃、心身ともに疲労がちなのは、年齢のせいかもしれません。

私よりも少し若い大学教授に研究会でお話をしてくれないかと電話しました。
そうしたら、「最近ちょっと疲れてしまい休みたいので、少し先にしてくれないか」といわれました。
先日、お会いした時にも、その疲れが伝わってきていましたので、すぐに引き下がりました。
その方の疲れは、決して暑さのためではないのです。
あえていえば、時代のせいです。
大学教授にはめずらしく、社会の流れに棹差して誠実に社会問題に取り組んでいる方ですが、無力感に襲われているようです。
若い時には、そんなことはなかったのですが、この歳になると、私でさえ、そうした無力感はしばしば体験します。
勝手にやってよと投げ出したい時もよくあります。
思い入れが深いだけに、虚しさに襲われると、異常なほどに疲れを感ずるものです。
だから、この教授のお気持ちが痛いほどわかるような気がします。

もう一人は、私より一回り若い女性ジャーナリストからのメールです。

昨今、自分のことではありませんが、わが身に多少関係のあること、というのでしょうか、周辺に認知症、病気、破産、死亡などの、不幸や悲劇が次々と起こっています。
そのたびに、時間を取られ、振り回されるような状況に陥るのですが、60歳も超えると、その年代にふさわしい出来事に遭遇するのだと、気をとり直し、様々な出来事を興味深く観察しながら関わっている始末。
明日も、小田原でお葬式があります。
こちらもよくわかります。
「その年代にふさわしい出来事」。
それに素直に従って生きなければいけませんね。
少し無理をしているのかもしれません。

今日も疲れきった1日でした。

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■節子への挽歌2168:思いを馳せることの大切さ

節子
3日ほど湯島に来なかったので、テーブルの上の白メダカのことが気になっていたのですが、元気でホッとしました。
夏は、日よけのカーテンをおろしておかないと水槽の水が熱くなり、酸欠もしてしまう恐れがあります。
水草もなかなかうまく育ちません。
しかし、白メダカは元気でした。

ベランダや室内の植物も何とか元気です。
ランタナは大きな鉢に移したので、1週間は水をやらなくても大丈夫です。
しかし、植物もメダカも、ちょっと気を抜くと突然、ダウンしてしまいます。
いのとあるものは、決して気を許せません。
自分だけは大丈夫だと誰もが思いがちですが、もちろん自分も同じです。
でもそれがなかなか実感できないのです。
少なくとも私はそうです。

暑さのせいもあるでしょうが、今年は少し心配な話もいろいろと届きます。
しかし、みんなに共通して言えるのは、自分が大変なのに、他者を思いやる姿勢です。
それが、いのちの本質かもしれません。
自らのいのちは、他者とのつながりのなかでこそ実感できますから、それは当然と言えば、当然なのですが。
相手を慮ることこそ、自らを大切にすることなのかもしれません。

そして、だれかに気づかってもらうことが、元気のもとなのかもしれません。
私が、なんとか元気なのは、いろんな人から声をかけてもらっているからかもしれません。
正しく言えば、いろんな人と声を「掛け合っている」からかもしれません。
いのちのつながりを感じられることが元気を支えてくれているわけです。

テーブルの上のメダカが元気なのは、もしかしたら湯島に来なかったけれど、自宅で私が心配していたのをメダカが感じてくれていたから、頑張れたのかもしれません。
あまり論理的ではありませんが、そう思うことにしましょう。

会えなくても、無限ともいえる遠くにいるとしても、思いを馳せることの大切さを感じます。
ちょっと気になるのは、愛する人を喪って、自分の世界に閉じこもってしまう人がいることです。
そういう人の、世界の扉を開く力が、私にあるといいのですが。

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2013/08/22

■節子への挽歌2167:「いま居ません」

節子
今日は久しぶりに遠藤クリニックに行ってきました。
最近、高血圧の薬ももらうだけで、診察はしてもらわないようにしていました。
今日、久しぶりにうかがったのは、別に体調が悪かったからではありません。
しかし、行った以上は診察になるのは当然で、血圧を測られてしまいました。
今度は上が高すぎるようです。
まあ、上が高いのは少し運動すればすぐ下がりますから、といつもの調子でした。
心配はないでしょう。

その後、郵便局によりました。
いろんな会への会費の振込みです。
郵便局は実に平和な空間です。銀行とは全く違います。
節子がいなくなってから、郵便局や銀行に自分で行く機会が増えました。

まあ、そんな感じで、今日はちょっとそれなりに働きました。
ユカに言わせれば、働いたうちには入りませんが。
幸いに今日は少し涼しかったので助かりました。

節子がいなくなって、増えた仕事は他にもあります。
そのひとつが来客対応です。
一人で家にいると、いろんな人がやってきます。
そのかわし方が難しいのです。
粘られてとりたくもない新聞を取ったこともあります。
こうしてみると、主婦の仕事は結構大変なのです。

先日、チャイムがなって、ドアフォンに出たら、八百屋ですが、野菜はいりませんかと言う声でした。
出ると多分買うことになりますので、思わず「いま居ません」と答えてしまいました。
そうしたら、なんと相手は「ああそうですか」とすぐに引き下がりました。
よく考えてみると、これはおかしな会話です。
いま居ないとすると、そう言っている人はどうなるのか。
要するに、男性は家には居場所がないのです。
これからは、この返事が一番いいなと思いました。
「いま居ない」
もしかしたら、ほんとに私はもう居ないのかもしれませんね。

今日は、かなり休息がとれました。
掃除には少し狩り出されましたが。

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■節子への挽歌2166:来週七回忌の予定です

節子
今年は節子が逝ってからまる6年になり、七回忌の年に当たります。
七回忌は親族中心に、お寺で静かに行おうと思います。

久しぶりに、わが家への泊り客があるので、大掃除しなければいけません。
来客用の部屋は、いまや物置に近くなっていたからです。
そのうえ、最近は備品の故障が続いています。
普段つかっていないエアコンは大丈夫でしょうか。

娘のユカに準備や仕切りを頼みましたが、何しろこういうことは、以前はすべて節子がやってくれていましたから、私には苦手です。
その肝心の節子がいないので、娘には大迷惑をかけることになってしまっています。
三回忌もやったはずですが、その頃は、みんなまだみんな惰性で動いていたようなところがあり、あまり記憶がありません。
自分の法要くらいは、自分で戻ってきてやってほしいものです。
節子は、まあかなりいい加減とはいえ、記録を残す文化の人でしたから、何をどうしたかをメモしていたはずです。
残念ながらその文化は、いまのわが家にはあまり残っていません。

お寺だけはかなり前から連絡していましたが、法要後の会食の場を予約しておくのを忘れていて、先週、連絡したら、まさかの満席でした。
幸いに、別の場所が予約できてホッとしましたが、やはりきちんと前もって準備しなくてはいけません。

法要は早いほうがいいというので、みんなの都合を考えて、命日の1週間前にしたのですが、いま考えると命日の当日でもよかったと反省しています。
物事を深く考えずに決めてしまい、準備もおろそかにしてしまう習癖は、どうもまったく変わっていないようです。
しかし、それでもこれまで大きな問題も起きてこなかったですから、それでもいいだろうと思っていたら、娘から、まわりの人がみんな迷惑を受けているだけだといわれました。
そして、思いつきでいい加減に生きるのをやめてほしいと注文を付けられてしまいました。
この歳になると、親子の力関係も逆転していますから、反論できません。
素直に掃除を手伝ったりしていますが、お父さんに頼むと逆に問題を増やしてしまうよ、と怒られています。
まあたしかに、昨日もカーテンの上げ下げするチェーンを壊したり、いろいろありました。
お母さんはなんでもっとお父さんの生活力を高めておかなかったのだろうと、ユカは嘆いています。
すべての責任は、どうも節子にあるらしいですよ。

今日は少しダウン気味なので、休むことにしましたが、掃除要員で酷使されそうです。

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2013/08/21

■節子への挽歌2165:やはりちょっとタガが外れているかもしれません

節子
昨日、田中さんに指摘されたように、少し立ち止まって考えてみると、やはり「タガ」が外れてしまっているのかもしれません。
たしかに、いろんなことを安直に引き受けて、結果的には中途半端な対応になっているものも少なくありません。
しかもテーマも多様で、スタイルもさまざまです。
どう考えても一人でさばききれるはずがありません。
にもかかわらず、やりたくなってしまうのは、無責任としか言いようがありません。
実に困ったものです。

ただ、節子がいなくなってから、私には時間がすべて平坦になってしまいました。
メリハリもなく、ただただ目の前にある課題を処理し、特に趣味に埋没したり、節子と未来や過去や愛を語ったり、旅行に出かけたりする時間はまったくなくなったわけです。
対価をしっかりともらってやるような仕事は、節子がいなくなってからはしていませんので、どうしてもやらなければいけない仕事もないわけです。
だから、時間はありあまっているわけですが、絶対にやらなければいけないという緊張感がないので、だらだらと時間を使ってしまっているわけです。
そしてちょっと気を抜くと、予定通りにならないわけです。
でもそれでも、「まあいいか」と思ってしまうわけで、結果的に無責任になってしまうわけです。
実に困ったものですが、肝心の本人は、それもまた「まあいいか」と考えてしまうので、さらに困ったものなのです。
しかも、抱えている問題は、そう簡単ではなく、中には真夜中に目が覚めて眠れなくなるようなものもあります。
相談に答えるために、さすがの私も緊張してしまうような、繊細の問題も時にはあるのです。

そして、時々、脳疲労状態を起こし、何もしたくなることがあります。
実は今がその状態です。

若老師の鈴木さんからメールが届いていました。

たいへんなことが多そうなのに、
佐藤さんはどうもそれを楽しんでいるかのようです。
そうですよね~?
そうでもあり、そうでもない。
今日は本当に疲れました。出だしはよかったのですが。
今は、このまま彼岸に旅立ちたいくらいです。


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■節子への挽歌2164:幸せな生き方

節子
昨日、久しぶりに田中弥生さんが湯島に来ました。
1年半ぶりかもしれません。
田中さんは、最近は活動範囲を広げて、政府関係の委員になったり、日本NPO学会の会長になったり、主体的なNPOの評価活動をしたり、大活躍です。
それでまあ、私も最近はあまりコンタクトしていなかったのです。

最近の私の状況を知って、田中さんから「節子さんがいなくなってから、佐藤さんはタガが外れたのではないですか」と言われました。
私が、だれの相談にも乗りすぎて、コミットしすぎるというわけです。
まあ、たしかのその傾向は否定できません。
どこかで、人生を投げているところが自分でも感じます。

田中さんは、私が会社を辞めた後の人生に少なからず影響を与えてくれた人です。
私がNPOや保育の世界に関わりだしたのは、田中さんのおかげです。
彼女には感謝していますが、私は体制から離脱して生きる道を選び、田中さんは体制に正面からぶつかる道を選んでいますので、田中さんと活動を一緒にすることはありません。
しかし、田中さんは、私の取り組んでいるコムケア活動にはいつも協力してくれています。

最初、会った時には、田中さんは仕事とバレエを両立させようと頑張っていました。
節子と一緒に、田中さんのバレエを見に行ったこともあります。
残念ながら私には全く興味はなかったのですが。
その頃の田中さんは、いささか挑発的な小悪魔といった感じもありましたが、今はさまざまな分野で実績も上げている活動家の一人です。

多くの場合、社会での居場所が安定すると、退屈になってしまいます。
昨日、うれしかったのは、田中さんが退屈になっていなかったことです。
そして、迷い悩んでいることです。
いや、むしろどんどんラディカルになっています。
それもソフィストケートされてきているのです。

今朝、フェイスブックを開いたら、田中さんが、私に会ったことを書き込んでいました。
その最後に、次の一文がありました。

知り合って25年以上が経ちますが、幸せな生き方とはどのようなものなのか、無言で教えてくださっているように思えます。
幸せといえば幸せ、不幸といえば、不幸、なのですが、まあこういってくれる人があるということは、幸せなのでしょう。

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■マット・デイモンのオバマ大統領批判

今朝の朝日新聞に、マット・デイモンさんがオバマ大統領批判の発言をしたという記事がありました。
彼は、ハリウッドにおけるオバマ支持の中心的存在でしたが、この報道には拍手を送ります。
私自身は、大統領になってすぐに、オバマ大統領には違和感を強く感じましたが、私の大好きなジェーソン・ボーンもようやく自らを取り戻したかとうれしい限りです。
今回の発言は、かなり具体的なことに踏み込んでいるようです。

アメリカでは俳優も政治や宗教への態度がはっきりと語るような感じがします。
日本とは対照的です。
もちろん日本でも俳優やタレントが政治的主張をすることはありますが、ほとんどの人は中立を守っています。
言い方を換えれば逃げています。
主張すると、山本太郎さんのようになるのを恐れているのかもしれませんが、私には政治的立場を表明しない人は、全く信頼できません。
時に利休のような人も出ますが、元々芸人は、権力に寄生する人です。
私には、そうした人はいかに見事な俳優でも、全く評価できません。
権力に追従する人ほど、卑しい人はいないというのが、私の考えなのです。

10年ほど前、NPO支援の資金助成プログラムの事務局をやらせてもらいました。
資金提供会社の全面的な理解があり、プログラムの設計は自由にさせてもらいましたが、ただ1点、コメントをもらいました。
「宗教や政治に関わるもの」は支援の対象にしないほうがいいということでした。
それは当時の常識でしたが、私には違和感がありました。
宗教や政治に関わらない市民活動など、私には考えもつかないからです。
まあ、宗教や政治に関する私の理解の仕方が、一般的ではないこともありますが、NPOとはまさに「政治活動」であり「生き方の問題」に関わらなければ、意味がないというのが私の考えでした。
しかし、宗教や政治を外すのは、資金提供者からだけの意見ではなく、一緒にやろうとしていた仲間たちからも当然のように出てきました。
他の論点も多かったので、その時には妥協して、そうしてしまいましたが、ずっと残っている悔いのひとつです。

社会に大きな影響を与える立場にある人たちは、政治への態度を明確にすべきだと私は考えています。
道化役のタレントであっても、道化の精神は持ってほしいです。
もちろん、爆笑問題などのスタイルは、私には論外です。

アメリカでは、ジェーン・フォンダをはじめ、政治的活動をしているスターは少なくありません。
もちろん、立場は正反対の人もいますが、いずれにしろ立場を明確にし、行動もしっかりしています。

日本の俳優たちも、もう少し政治活動をしてほしいと思います。
その影響力は大きいからです。
できることはたくさんあります。
東北被災地にボランティアにいくのも悪いとは言いませんが、もっとやるべきことがあるように思います。

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2013/08/20

■特別な時間が積み重なった場所を捨てる覚悟

昨日、福島で仕事をしている友人に会いました。
その人に会うと必ず出るのが福島が今後どうなるかの話題です。
その人は放射線汚染の危険性をずっと唱えている人で、湯島でもその人の話を聞く集まりを2回やっています。

私自身も、いわゆるホットスポットと言われる我孫子に住んでいますので、よくわかるのですが、放射線で汚染されていようと自分が住んでいる地域には深い愛着があります。
だから当事者としては、そこに住めなくなるということは、聞きたくない話です。
しかし、当事者としてではなく、子孫という観点から考えると、それではいけないでしょう。

情を捨てて考えると、福島はもはや人が住める地域ではなくなったように思います。
除染活動が行われていますが、常識的に考えて、ひとたび広範囲に汚染された地域を除染することなど不可能です。
にもかかわらず、住民を安心されるために、あまり効果があるとは思えない除染活動デモンストレーションが行われているような気がします。
その一方で、福島原発まわりの危険な状況はあまり変わっていません。
汚染水の海への流出などが、いまなお問題になること自体、そのことの現れです。
私には、専門家たちは、問題を解決できないことを知っているように思えます。
にもかかわらず決断を先延ばしし、被害をじわじわと広げている。
これは犯罪以外のなにものでもありません。
東電という会社の問題ではなく、政治が決断を下すべき問題ですが、責任は一会社にすぎない東電に背負わされています。
東電もおそらく解決できないことを知っているので、本気になれないのかもしれません。
記者会見を見ていても、本気さはまったく感じられません。
みんな、自らが属する組織や自らの保全しか考えていないのです。
そして事実が見えないように、あるいは見ないように、情報が隠蔽されています。
隠すだけの隠蔽ではなく、見たくない結果からの隠蔽も広がっているように思います。

私は、福島を中心にした汚染地域は国家が買い取り、人の住まないままに放置する地域にするしかないと思っています。
そこに汚染物質は集中し、禁断の地にするしかないでしょう。
それ以外の未来はないように思います。
福島の住民たちにとっては、厳しいことですが、長い目で見れば、それが一番、住民たちのためになるように思います。

昨日話した人も賛成でしたが、その人は、地域を守るよりも住民を守る発想が行政の首長にはないのですよ、といいました。
まったく同感です。
大切なのは、組織や土地ではなく、いのちです。
手段と目的を間違ってはいけません。
飯舘村の菅野村長の話も出ました。

にもかかわらず、土地の持つ意味は大きいです。
観光客にとっては、単なる風景でしょうが、そこに住む人にとっては、暮らしやいのちに深くつながっています。
しかも、先祖の人々の営みも含めて。そこには表情のある「特別の意味」を持った時間が積み重なっています。
つまり、私たちが住んでいる地域は、単なる空間ではなく、長い歴史的な時間が折り重なるように織り込まれた時間の集積でもあるのです。
だから、そう簡単には離れられないのです。
そう考えると、福島を捨てることの辛さがとてつもなく大きいことがわかります。
にもかかわらず、そこを捨てなければ、子どもたちの未来が守れないかもしれません。
これまで培ってきた時間をとるか、これから広がっていく未来の時間をとるか。
こう考えれば、判断は簡単です。
問題を起こしてしまった世代が、その苦難を引き受けなければいけません。

一刻も早く、福島は「廃県」し、人の入り込めない自然林にし、そのできるだけ中央に、私たちが生み出した放射線汚染物質を隔離するしか方法はないように思います。
当事者でないものの、無責任な意見かもしれませんが、私が住んでいる地域も、いつ、「廃県」の対象になるかもしれません。
原発を維持するとは、そういうことだと、私は思っています。
その覚悟もなく、原発再稼動に加担している人が、私には理解できません。

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■節子への挽歌2163:世界はたくさんの挽歌から構成されている

節子
エジプトの騒ぎが続いています。
軍部によるデモ隊排除で1000人近い人たちが殺害されています。
実に痛ましい話です。
カイロ在住の中野さんの奥さんが、「何とも言えない脱力感に苛まれております」とメールしてきましたが、お気持ちはよくわかります、

エジプトに限りませんが、毎日、世界各地でたくさんの死者を伴う事件の報道があります。
数の多さに驚いてしまいますが、その数だけ、私が体験した悲しさと寂しさがあるわけです。
そのことを考えると、死者の数がまったく違ったものに見えてきます。
しかも、たとえばエジプトの場合で言えば、その死を追悼するゆっくりした時間さえ持たないかもしれません。
死を悼むはずの人も、一緒に亡くなったかもしれません。
こうして毎日挽歌をかけることの幸せを感謝しなければいけません。
人の幸せは、いつも相対的なものですし、不幸と幸せはつながっているものです。

死者○○人という報道を見るたびに、その数だけの挽歌があることを思えるようになりました。
世界は、たくさんの挽歌から構成されているのかもしれません。
もしそうなら、死への挽歌とともに、死への怒りを集めなければいけないのかもしれません。

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2013/08/19

■節子への挽歌2162:「音のない記憶」写真展

節子
今日から「音のない記憶」写真展がアートガレー神楽坂で開催です。
タイトルは「ろうあの写真家・井上孝治と評伝作家・黒岩比佐子の世界」です。
いろいろな友人が開催に関わっています。
節子がいたら、すぐにも行ったでしょうが、どうも足が向きません。

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黒岩さんが亡くなってからまもなく3年です。
節子の供花にわが家まで来てくれた時には、まさかがんになるとは思ってもいませんでした。
黒岩さんから、がんが発見されたとメールが来た時には驚きました。
それからの黒岩さんの生き方は、壮絶としか言いようがありません。

黒岩さんは、湯島のオープンサロンの常連でした。
いつか手の届かない人になってほしいね、と節子は期待していました。
もちろん黒岩さんは、どんなに有名になっても、手が届かなくなることのない人でした。
その黒岩さんも、逝ってしまいました。

音のない記憶写真展のポスターには、井上さんの写真が使われています。
この写真は、本の表紙を飾った写真です。
最初にその写真を見た時、氷をなめている子どもが私のような気がしました。
私の子どもの頃には、こんな風景はよくありました。

「音のない記憶」が出版されたのは、これもサロンの常連の藤原雅夫さんの尽力のおかげです。
ですから黒岩さんは、湯島のサロンをとても大事にしてくれていました。
であれば、黒岩さんの追悼サロンくらい、やればよかったのですが、なぜかその気が起こりませんでした。

今回の写真展の主催団体の一つは、「語り継ぐ黒岩比佐子の会」です。
最初、私もこの会にたぶん関わる立場にいたように思います。
しかしなぜか違和感があって、活動には全く反応しませんでした。
語り継ぐほどの距離感がつくれないからです。
黒岩さんは、私たちには評伝作家でもなんでもなく、ただ口角泡を立ててしゃべりだしたらとまらない人でした。
「語り継ぐ黒岩比佐子の会」の話があった時に、なぜか無性に腹立たしかった記憶があります。
いまはそんな気は起こりません。
黒岩さんの最後の作品になった「パンとペン」は傑作です。

節子は彼岸で黒岩さんと会っているでしょうか。

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2013/08/18

■節子への挽歌2161:いないと何をしていいかわからない

節子
横浜の野路さんから土屋農園の桃が届きました。
今日は日曜日だったのですが、私は湯島に行っていました。
朝の10時から午後6時半まで、ロングランの打ち合わせでした。
テーマはかなり深刻なもので、いささか疲れましたが、なんとか大方の合意ができました。
疲れきって帰宅したら、桃が届いていました。
私は川中島の桃が大好きなので、食べたかったのですが、果物は夜食べてはいけないという節子の言葉を思い出して我慢しました。

野路さんに電話しました。
といっても節子の友だちの野路さんではなく、旦那さんのほうです。
節子の友だちの野路さんは数年前に階段から転落し、それがきっかけになって、記憶喪失になってしまい、そして認知症になってしまったのです。
リハビリと認知症、そのケアは大変です。
電話の向こうの野路さんは、私以上に疲れているようでした。

今日は娘さんがしばらく預かってくれるというので、野路さんはお一人でした。
つまり、節子の友だちの野路さんは、留守だったということです。
そしてこう話されました。
妻と一緒だととても大変ですが、いないと何をやっていいかわかりません。
とてもよくわかります。
介護がどんなに辛くても、介護する相手がいなくなると楽になったと思う一方で、落ち着かないのです。
でも、と、野路さんは付け加えました。
いるだけで幸せだと思わないとだめですね。
その通り、いるだけでどれほど幸せなことか。

土屋農園は小布施にあるそうですが、とても誠実な農園だそうです。
野路さんが、そこで食べる完熟の桃は最高です。いつか佐藤さんと一緒に行きたいですねと言ってくれました。

実は、私は野路さんの奥様には何回も会っていますが、夫の野路さんには会ったことがないのです。
ただ、節子からは話はよく聞いていました。
これも節子がつくってくれた縁なのです。

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2013/08/17

■マルチチュードが主役の運動が広がりだした?

エジプトの話をもう一度書きます。
気になって仕方がありません。

昨日のNHKテレビ「時論公論:強制排除 どうなるエジプト」で、解説委員の出川さんが次のように話しています。

「ムスリム同胞団」は、軍と暫定政府による一斉摘発で、巨大なピラミッド型組織の指導部が軒並み逮捕され、意思統一を図れなくなる可能性があります。
「ムスリム同胞団」は、イスラムの教えに基づく社会や国家の建設を目指し、エジプト社会に深く根を下ろしている組織です。
これまで、暴力を否定してきましたが、指揮命令が混乱に陥った場合、武装闘争を主張する強硬派グループが台頭し、テロや暗殺など過激な行動に出る可能性を否定できません。
一方で、組織内の穏健派グループが主導権を維持し、軍や暫定政府との正面衝突を避け、勢力の温存を図る可能性もあります。
 非暴力のグループを暴力に走らせるのは、多くの場合、国家権力による暴力です。
不幸にして、そうなってしまうと、解決のための時間が長期になります。
歴史は、「急がば回れ」の正しさを示していますが、多くの場合、「回る余裕」を与えてはくれないのが現実です。
したがって、今回のエジプトも、そうなる可能性は大きいかもしれません。

しかし、そうならない可能性もあります。
出川さんがいう「ピラミッド型組織の指導部が軒並み逮捕され、意思統一を図れなくなる可能性があります」は同感ですが、その一方で、そうならない可能性もまた大きいのです。

国家権力の視点で発想するとピラミッド型組織による指導管理が当然だと思いがちですが、ネグリが主張している「マルチチュード」の運動形態は違います。
ネグリは、上から押しつけられた強制的な原理ではなく、多様な人たち〈マルチチュード〉自らが創発させていく「構成的権力」によって、下から水平的に築かれる民主的な社会を期待しています。
そして、それが、2011年に各地で始まった新しい闘争によって、リアリティを持ち始めたというのです。
つまり、2011年に始まった世界各地の広場占拠運動や抗議集会は、水平的でリーダーがいないところに、強かでしなやかな強みがあるというわけです。
私にはとても説得力があります。
これこそが、閉塞状況にあるさまざまな組織を蘇らせる、これからの組織原理だと思っています。
だから、エジプトの動きに関心があるのです。

ネグリはまた、「構成する権力」が「構成された権力」として固定化され、規範化されてしまうことを、強く危惧します。
エジプトにおけるモルシ体制は、その典型例かもしれません。
私は、エジプトの状況をほとんど知らずに、最近のマスコミ報道程度の知識しかありませんが、ネグリのマルチチュード論があまりに見事に当てはまるのに驚きを感じています。
そして、これは、私が大学生の頃に広がっていたアメリカの緑色革命状況にとても似ているのです。
あの時には、まだ環境が整っていませんでしたが、いまは違います。

エジプトの軍部政治は今度こそ終わるでしょう。
その影響は、想像を絶するほど大きいように感じます。
オバマの化けの皮もはがれるのではないかと期待したいところです。
私は、オバマ大統領がどうしても信頼できません。
世界が大きく変わろうとしている。
そんな気がしてなりません。

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■節子への挽歌2160:暑さのなかの秋

節子
暑い中にも秋を感ずるようになりました。
相変わらず気が戻ってきません。
やはりチビ太がいなくなったせいかもしれません。
いわゆるペットロス現象は起きていないのですが、意識の奥で何かを受けているのかもしれませ。
となりにいた「いのち」がいなくなることの意味はやはり大きいようです。
それに、なぜか節子を見送った時のことも、思い出されてしまいます。

暑さのせいで、供花もすぐ枯れてしまいます。
この時期は、やはり活花は難しいです。
華やかだった位牌檀もこじんまりとしてしまいました。
そんなことも、何か寂しさを募らせます。

もしかしたら、秋を感ずるのも、心境のせいかもしれません。
お盆が終わると、秋。なのかもしれません。

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■エジプトが気になります

エジプトが気になります。
もし私がエジプトの国民だったらどうするだろうかと、いつも思います。
エジプトに限りませんが、これが私が報道に接する時の、基本的な姿勢です。
それに、自分と無縁な事件など、あるはずもありません。

こうした報道は、常に権力側の視点で報道されます。
たとえば、デモを排除する人たちは「治安部隊」と表現されます。
「正義」は軍部にあるという意識を、生み出すことになります。
デモ隊は、広場を「占拠」と表現されます。
それは事実ですが、「占拠」という言葉に、「秩序」を壊す行為であることを感ずる人がいるかもしれません。
占拠した人たちは、もちろん「秩序」を回復したいと思って集まっているのですが。
こうして、「言葉」が大きな影響を果たしています。
私たちが報道を通して得る情報は、すべて価値付けされています。
だからこそ、自らの価値軸をしっかりともって、報道を通して与えられる情報を相対化する努力を怠ってはいけません。
価値軸を持つということは、広くさまざまな動きを包括的に捉えるとともに、できるだけ多様な価値観や解釈に触れるということですが、それには限界があります。
ですから、自らの受け止め方が、いかに断片的で、偏ったものであるかを自覚しておくようにしていますが、その一方で、自らの直感を大事にもしています。

多くの死傷者を出しながら、しかも、それをすぐ隣に見聞しながらも、そこを退こうとしない人がたくさんいるのはなぜでしょうか。
彼らは、なんのためにそこまでがんばれるのか。
彼らの国家観と軍部の国家観とは全く違うのでしょう。
あるいは、その違いは「いのちへの愛」の有無かもしれません。
安倍首相のように愛国心を強調する人たちの愛は、自己愛でしかありませんが、しっかりと汗して生きている人たちを支えているのは、大きないのちへの愛です。
エジプトの動きを見ていると、それを強く感じます。
「大きないのち」という視点で捉えると、治安部隊による暴力行為で、自らの生命を失うことの意味が、単なる個人の死ではないことは明らかです。
行動を共にすることで、「大きないのち」を実感できるようになれば、自らの死など厭わなくなるのでしょうか。

もし私が、デモに参加した一人だったら、そうなるのだろうなと実感できます。
しかし、問題は、デモに参加するかどうかです。
そこに出かけていくためには、何が契機になるのか。

同じようなことが日本でも見えない形で起こっているのかもしれないのに、それが見えてこない、あるいは見ようとしなくとも、なんとなくやっていける。
それが問題かもしれません。
日本で起こっていることを、やはりもっとしっかりと見ようとしなければいけない。
エジプトの報道を見ながら、そんなことを思いました。

回路在住の中野さんが、メールで「当方、何とも言えない脱力感に苛まれております・・・」と書いてきました。
その言葉が、心に響きます。

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2013/08/16

■節子への挽歌2159:今年のお盆は休みにはなりませんでした

節子
今年のお盆は、世上の雑事に翻弄されて、しっくりと節子と時間をシェアする事ができませんでした。
人を信頼することは簡単なことではありません。
改めてそれを痛感した1週間でした。
完全に信頼しあえる関係を節子と構築できたことは実に稀有なことだったのかもしれません。
しかし、そのおかげで、私は、人を信頼しすぎるようになってしまったのかもしれません。
それは悪いことではないのですが、いささか疲れます。

今日も午後からずっと「信頼したかった人」からのメールを待っていましたが、見事に裏切られました。
この1週間の努力はあまり報われませんでした。
こういう時には、だれかに愚痴をこぼしたいですが、節子以外には聞いてもらえそうもありません。
困ったものです。

お寺に送り火に行って、戻ってきたら、その人からのメールが届いていました。
そのメールが、もう1時間早かったら、状況はかなり変わっていたでしょう。
今となっては、その人を支援しようにも支援できなくなってしまいました。
とても嫌な気分が残ってしまいました。
こういうことが世の中には少なくないのでしょう。

ともかく最近は、いろんな人に振り回されます。
振り回されるのは、私に軸がないからです。
そのため、最近は自分嫌いの度合いが強まっています。
自分をもっとしっかり持たなければいけません。
しかし、自分をしっかりと持つためには、基準が不可欠です。
前にも書きましたが、一人では立脚点を安定させられないのです。
今年のお盆は、ともかく疲れるお盆でした。

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■節子への挽歌2158:6回目の送り火

節子
今日は送り火です。
今年のお盆はなにやら落ち着かないお盆で、お盆らしきことはあまりしませんでした。
まあ普段きちんとやっているので、あるいは普段もいい加減なので、節子は気にもしないでしょう。

迎え火は、なんとなく喜びがあります。
しかし、送り火は寂しさがあります。
にもかかわらず、みんな送り火をします。
せっかく自宅に迎えながら、帰してしまう。
なぜでしょうか。

フェイスブックに、「送り火をしないとどうなるか」と質問を投げかけたら、いろんなコメントがきました。
それらを読みながら、改めて、お盆というのは、問題を日常から外してしまう仕組みであると同時に、日常生活の矛盾や問題を調整する仕組みでもあると気づきました。
まさに「生活の知恵」です。
迎えたり送ったりするのは、先祖の霊でしょうか。
そこにも深い意味がありそうです。
しかし、そんな風に考えるのは、小賢しさの現われかもしれません。
節子なら、お盆にはちゃんと迎え火をたき、送り火をたけばいいというでしょう。
節子には、小賢しさがありませんでしたから、私でさえ、時に反省させられました。

節子がいた頃は、いつも一緒に迎え火をたき送り火をたき、お盆はしっかりとお供えもしました。
だからいまも、何となく、一緒に迎え火をたき送り火をたいている感じですから、話はややこしいのです。
お墓参りに行くときも、仏壇の位牌に向かって、一緒に行こうと呼びかけているのですから。

節子がいなくなってからは、両親の位牌を兄に託したこともあり、わが家に戻ってくるのは節子だけです。
節子はいつもわが家にいると私は思っていますので、お盆だからといって、特別の気がしないのです。
にもかかわらず、お墓に行き、精霊棚を整える。
人の行動は矛盾だらけです。

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2013/08/15

■節子への挽歌2157:介護を家族に期待するか

節子
大学でも福祉を教えながら福祉関係のNPO活動もされている小畑さんが先日、久しぶりに湯島に来ました。
昨年、地域での看取りをテーマにした本も出版されました。
その本には私と節子のことも登場します。
小畑さんは、看取りに関してもっと関心を持ってほしいと「みとり塾」などの活動もされています。

最近の活動を話してくれた後、突然に質問されました。
「佐藤さんも介護が必要になったら娘さんに期待する考えの人ですか」と。
私にとっては、実はこの質問はあまり意味がないのですが、「そうあるべきだとは思っていないが、娘が面倒を見てくれると思っている」と答えました。
家族が面倒を見るべきだという発想は、私にはないのですが、逆に「見るだろう」と確信しているのです。
誤解されそうですが、言い換えれば、見るのが普通であるような生き方をするということでもあるのです。
それは同時に、私の介護で娘の人生がおかしくなるようなことは避けるという意味でもあります。
これはわかってもらうのが一苦労ですが、若い頃からの私の家族観です。

ところがです。
帰宅して、娘にその話をしたら、私は介護はしないよと言われてしまいました。
いやはや、娘の育て方が悪かった。
困ったものです。
でもまあ、いざとなったら、娘は介護し、私は介護させないようにするでしょう。
それに、節子がいない今となっては、誰かに介護してもらう生き方は避けなければいけません。
妻に介護してもらうのは幸せですが、娘に介護してもらうのは、たぶん幸せではないでしょう。
介護されずに、人生を終わるために、生き方を少し考えなければいけません。
これはけっこう難問かもしれません。
しかし解くのが面白い問題でもあるような気がします。

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■日本とエジプトとどちらが「平和」なのか

今日は終戦記念日です。
エジプトのデモにまた軍隊が排除行動を起こし、たくさんの人が亡くなりました。
実に痛ましいことです。
黙祷をしながら、そう思いました。

さらに思ったのは、日本とエジプトとどちらが「平和」なのかということです。
閣僚が2人、靖国参拝をしました。
私にはあまり興味のないことですが、この人たちの「平和観」ってどうなっているのかなと思いました。
戦争を起こした人が、特に厚く祀られている靖国神社に行くのではなく、エジプトの平和も祈ってほしいとも思いました。
一国の政府の閣僚であれば、エジプトの平和に対して、私よりもできることはいろいろとあるだろうなとうらやましく思います。

エジプトに比べれば、日本のほうが平和だとは、私には断言できません。
原発事故のことを思えば、エジプトに比べて日本が安全だとさえ言えないような気がします。
エジプトの人たちは、自らの未来が見えているのに対して、日本の私たちには未来が見えていないような気もします。
安全と平和とは程遠いところに向かって、私たちは進んでいるような気もします。

先週、ネグリとハートの最新作「叛逆」(NHKブックス)を読みました。
そこに出てくる文章を思い出します。

2011年初頭、徹底した不平等を特徴とする、社会的・経済的危機が深まるなか、「これ以上の災厄が身に降りかからないようにするためには、支配権力者たちが決めたことを信じ、その導きに従うべきだ」という常識が幅を利かせているようにみえた。むろん実際には、金融と統治の支配者らは圧政者にほかならなかった。彼らにこそ危機を生みだした主たる責任があったのだろうが、私たちには何の選択肢もなかったのである。
だが、2011年に生じた一連の社会的闘争は、この常識を粉砕し、新たな常識=〈共〉的感覚を構築し始めた。

「叛逆」はネグリの本にしては、読みやすく平易で具体的です。
多くの人にぜひ読んで欲しい本です。

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■節子への挽歌2156:バラが枯れた

節子
毎朝、庭の花への水やりがようやく日課として定着してきました。
これをおろそかにしていたので、節子が大事にしていた花をかなり枯らせてしまったわけです。
しかし、この水やりは結構大変なのです。
それが最近わかってきました。
ただ水を撒けばいいというわけではないのです。
節子はよくまあ、枯らさずにいたものです。

今年は特に暑さもあって、かなりの花をだめにしました。
最近、水をやっていて、転居前の家から持ってきたバラが枯れているのに気づきました。
その後、いくら水をやっても芽が戻ってきません。
だめにしたバラは何本もありますが、これはちょっと残念なことをしました。
節子と一番長く一緒に暮らしたのは、転居前の家でした。
良いことも悪いことも含めて、その家での記憶は山のようにあります。
そこから持ってきたバラが枯れてしまったのです。

昔、「バラが咲いた」という歌がありました。
後半の歌詞はこうでした。

バラが散った バラが散った いつの間にか
ぼくの庭は前のように 淋しくなった
ぼくの庭のバラは散ってしまったけれど
淋しかった僕の心に バラが咲いた
バラよバラよ 心のバラ
いつまでも ここで咲いてておくれ
バラが咲いた バラが咲いた 僕の心に
いつまでも散らない まっかなバラが
残念ながら、この歌のようにはなりませんでした。バラは散ったのではなく、枯れてしまった。
しかもバラはただただ枯れただけで、私の心には何も咲きはしなかったのです。。
人生は歌のようにはなりません。

バラを枯らしてから、気がついたのは、花や木の一つひとつの表情を見ていなかったからです。
ただ水を撒けばいいのではありません。
相手を見て、それに応じて水をやる。
そういえば、節子はそんなことを私にも話していました。
もちろん「花への水やリ」の話ではありません。
人との付き合い方の話です。
私は、すべての人が同じように見えてしまうのですが、それが節子には心配だったようです。

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2013/08/14

■節子への挽歌2155:チビ太に鳩居堂!

愛犬家の佐々木さんからていねいなお手紙が届きました。
書き出しは、「チビ太君の他界を心よりお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げます」とありました。
和紙に筆できちんと書いたお手紙でした。
佐々木さんは、いつも手書きの手紙なのです。
そして、鳩居堂のお線香が添えられていました。

佐々木さんは昨年、愛犬を見送っています。
その悲しみは大きく、四十九日までていねいに法要を重ねられました。
だから私のことも心配してくれているのです。
ありがたいことです。

チビ太にとっては、今年は新盆なのです。
節子への祈りで、どうもチビ太への祈りは、二の次になりそうですが、明日の朝は鳩居堂のお線香をきちんとあげて、般若心経もきちんとあげましょう。

朝起きて、チビ太がいないことに慣れてきました。
しかし、声だけは今もかけています。
人の行動は、そうすぐには変わらないものです。

佐々木さんは、チビ太はもう節子に甘えているでしょう、と書いてくれました。
節子のところに、チビ太はもう行きましたか。
咬まれないように注意してください。

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2013/08/13

■節子への挽歌2154:6回目の迎え火

節子
今日は、お墓で6回目の迎え火を焚きました。
暑いので、般若心経は中抜きで我慢してもらいました。
娘夫婦も含めて、お墓にお参りし、節子と一緒に帰宅しました。

お盆の時は、仏壇は閉めて、その前に精霊棚をつくります。
今年は、そこに節子の位牌とチビ太の遺骨を置きました。
チビ太はまだ旅立ちの途中ですので、位牌はできていません。
その前で、みんなで食事をしました。
うっかりして、節子に供えるのを忘れました。
薄情な家族です。

峰行が、まだチビ太の匂いが残っていますね、といいました。
2年以上も寝たきりでしたので、匂いが部屋に染み付いているのかもしれません。
しかし、匂いではなく気配かもしれません。
そこに「いるもの」がいないと、やはり不思議な気がするもので、なにかを感知するのです。

暑さもあって、今日はなぜかひどく疲れました。
昨年までは、お盆で節子が戻ってきたという思いで元気になったのですが、6回目ともなると感ずることもなくなってしまいました。
それに、いつも節子はわが家に居るような気がしているのに、お盆だからといって、迎え火をして、もうひとりの節子を呼び込んでしまうのも、考えてみると、理屈に合いません。
いまわが家にいる節子は、いったい誰なのでしょうか。
さて、この問題はどう解決すればいいか。
疲れた頭で考えるには、いささか難解すぎる問題です。

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2013/08/12

■節子への挽歌2153:「いまここ」を大切に生きる

節子
節子の実家は浄土真宗ですが、浄土真宗とはもともとは「浄土を真の宗(よりどころ)として生きる」人たちという意味なのだそうです。
私はこのことをつい最近知りました。
浄土を拠りどころにして生きるとは、とても共感できる生き方です。

浄土とは何かに関しても、さまざまな考えがありますが、私は「いまここ」が浄土だと考えています。
なぜなら、私の心身に居る「仏」を信じているからです。
仏がいる「いまここ」を浄土と思わないことは、私の中に居る仏性をおろそかにすることです。
こういう解釈は、節子だったら長年の会話を踏まえて理解してくれるでしょうが、あまり一般的な捉え方ではないでしょう。
しかし、「いまここ」を素直に生きることが、浄土真宗だとしたら、それもまた素直に受け容れられます。

節子がいなくなってから、私はますます思いつくままに生きられるようになってきました。
いや、思いつくままにしか、生きられなくなったというのが適切かもしれません。
そして、素直になると、とても生きやすくなることも学びました。

「いまここ」を大切に生きる。
これは死を意識してからの、節子の生き方でした。
まさに、浄土真宗徒。
私は、最近ようやくその意味を体得できたような気がします。
「いまここ」を大切に生きるとは、何かのために生きるのではなく、まさに「いまここ」を素直に生きることなのです。

明日は「迎え火」です。
ユカが準備をしてくれました。
明日から4日間、節子の位牌は仏壇の大日如来から解放されます。
今年は、チビ太も一緒です。

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2013/08/11

■節子への挽歌2152:チビ太の鳴き声を聞きました

節子
チビ太がいなくなった翌日起こった話です。
チビ太は、最後はずっとリビングに置いたベッドで寝ていました。
いまは、その場所はガランとしています。
午前9時過ぎでしょうか、私はそのそばの椅子に座って本を読んでいました。
これはチビ太がいる時からの日課です。」
寝たきりになった上に、チビ太は自分では食事も排泄もできないので、様子を見ながら、ケアしないといけないのです。
それに寂しいのか、時々、吠え出します。
そのときは身体を少しなでてやるとおさまります。
それで食事を与えた後、30分ほど、彼の隣で本を読んでいたわけです。

チビ太はいなくなりましたが、何となくその延長で、いつものように椅子に座って本を読んでいました。
その時、突然に、チビ太の声が聞こえたのです。
いつもとは違った、何か特別のことを訴えたい時の「キャン」という声です。
思わず、「どうしたチャッピー(これがチビ太の正しい名前です)」と声を出してしまいました。
そして、いつもチビ太がいたところを見ましたが、もちろんそこにチビ太がいるわけもありません。
チビ太はもういないのです。
しかし、はっきりと「キャン」聞こえたのです。

意識が、あるはずもないものを実体化することはよくあります。
ないのに、なんとなくあるような気がすることも時々あります。
実体化まではいきませんが、気配はよくあります。

魂があるのは人間だけだと何かで読んだ気がしますが、そんなことはありません。
それは経験的に知っています。
さらに言えば、生命以外に物にも魂はあるようにさえ思います。
なぜなら、すべては私の意識から生まれているものだと思うからです。

その時以来、もうチビ太の声を聞いたことはありません。
チビ太は順調に彼岸への旅を進んでいるようです。

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■節子への挽歌2151:幸せは不幸と隣りあわせ

節子
異常な暑さで、我孫子もついに39度を超えました。
わが家は1階にしかエアコンがないので、2階の書斎や寝室はもう壁まで熱くなっています。
燃え出してもおかしくありません。

チビ太のかかりつけの病院から供花が届きました。
ひまわりとキキョウとゆりを中心にした立派な供花です。
節子の供花がいささか見劣りするなと思っていたら、隣の宮川さんが、節子に立派な花束を届けてくれました。
これで、ようやくバランスが取れました。
宮川さんの供花も、いつもオレンジ系のあたたかみのある花束です。
まるでわが家の好みを知っていてくれるようです。

宮川さんは、毎年、花を届けてくれますが、いつも奥様にはとてもお世話になって、と言います。
子どもさんを預かったりしたことくらいしか心当たりがないのですが、それがよほど心に残ったのでしょうか。
それにしても、7年も経つのに、毎年、忘れずに花を届けてくれる人がいるとは、節子は本当に幸せものだと思います。

こういうのは、もしかしたらその人の持っているものなのかもしれません。
先週、福岡の杉尾さんという方に電話しました。
西日本新聞の論説主幹をされていた方ですが、もう30年近いお付き合いです。
節子は会ったことがありません。
8月に友人が福岡に行くので、紹介させてもらったのですが、私は妻の法事で同行できないと話すと、杉尾さんは、もう7回忌くらいかと言うのです。
まさに7回忌。
まあなんでもない話ですが、杉尾さんがすぐに7回忌と言ったのに驚きました。
まさか杉尾さんがそんなことを言うとは思ってもいませんでした。
もう大丈夫かと重ねて言われました。
杉尾さんも覚えてくれたのかとうれしくなりました。
そんな些細なことで、うれしくなれるものなのですが、それはとても幸せなことでもあります。
幸せは不幸と隣りあわせなのです。

お盆が近づいて、また少しずつ仏壇まわりも華やかになってきました。
地獄の蓋が開きだしたので、こんなに暑いのでしょうか。

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■ウェルフェアからデットフェアへ

「マルチチュードの民主主義宣言」と副題のある、ネグリとハートの「叛逆」(NHKブックス)は、ネグリの本にはめずらしく、実に平易で、具体的です。
彼らのマルチチュード論には異論も多いですが、この本に限って言えば、あまり異論は出ないのではないかと思います。
私には、まるで私が長年考え行動してきたことを支援してくれるような気がして、とてもうれしく読みました。

そこに、こんな言葉が出てきます。

社会のセイフティネットは「福祉(ウェルフェア)」〔=安寧に暮らしていくための〕システムから「負債(デットフェア)」〔=借金を背負って暮らしていくための〕システムへと移行した。(25頁)
「デットフェア)」。
始めて出会った言葉ですが、とても実感できます。
借金できるかどうかは、人の社会的評価を決める重要な基準でしたが、いまや逆に借金を背負うことで、消費単位としての存在価値を認められ、社会で生きていく場所を見つける手段になっているのかもしれません。

ネグりは言います。
人びとは借金を作ることで日々の生活を生き延び、負債に対する責任の重圧を受けながら暮らしている。そして、借金は人びとを管理する。
負債の効果は、労働倫理のそれと同様に、休まず精を出して人びとを働かせることにある。
労働倫理が主体の内部から生まれるのに対し、負債は外的な制約として現れるが、すぐに主体の内部に入り込み、巣喰っていく。

とても納得できます。
つまり、借金があればこそ、社会の中で暮らしていけるといってもいいのです。
借金だけではありません。
ネグりは、さらに3つの、人々が生きていくことを支える「外的な制約」を示しています。
メディア、セキュリティ、そして代表者です。
それらに共通するのは「恐喝」です。
借金がそうであるように、危険をあおりながら、メディアや権力の庇護や代議制政治に依存しなければ生きていけないような状況が広がっていると指摘します。

問題は、その恐喝が見えるかどうかです。
そして、その脅しに立ち向かえるかどうかです。
いまは「岐路」なのです。
日本では、2011年は大震災と福島原発の年ですが、世界的な文脈では、2011年は別の意味を持っているようです。
新しい歴史の幕開け。
最近の日本の状況を見ていると、いささか難しいようにも思えますが、大きな時代の流れは間違いなく、反転に向かっているのでしょう。
それがこの本を読むと実感できます。
お薦めの1冊です。

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2013/08/09

■核廃絶と原発の存在

広島と長崎の市長の話には、いずれも核廃絶への切実な呼びかけがありました。
これまで何回、繰り返されてきた願いでしょう。
その話を、安倍首相はどういう気持ちで聞いていたのでしょうか。
心に響いていないことは間違いありません。
とても悲しい気持ちで、テレビの中継放送を見ていました。

長崎大学核兵器廃絶研究センター長の梅林さんが、インタビューに応じて、核兵器の被害を実際に受けた国として、核兵器不使用の条約に調印しないのは、恥ずかしいばかりか、罪深いことだと話されていたことにとても共感できます。
実に罪深い。

さらに、私には、こういう動きと、脱原発がなぜつながらないのかと不思議です。
私には、原発も間違いなく核兵器の一種です。
たしかに能動的な核兵器ではないかもしれませんが、その存在自体が、人類を含む生命への危険な暴力源だからです。
それらを別に考えている限り、核廃絶は進まないような気がします。
そういう想像力が、いま求められているように思います。
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ」の先に、「ノーモア・フクシマ」があることを、なぜ見ようとしないのか。

毎年、この平和式典には、違和感がどうしてもあります。

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■節子への挽歌2150:自体満足

節子
異常に暑い夏です。
まるで地獄の火が地球にまで飛び出てきているようです。
そうであってもおかしくないほど、いまの地球は乱れているのかもしれません。

親鸞に関する本を少し読み出しました。
学生の頃読んだきりで、以来、親鸞にはほとんど興味がありませんでした。
節子の実家のお寺さんのご住職が、法事の時に、親鸞に関する本が入手できていないという話をしたので、ちょうど持っていた親鸞の本を贈呈して以来、親鸞の本は1冊もなくなりました。
もう50年近く前の話です。
なぜかそのことが強く記憶に残っています。

「自体満足」という言葉があるそうです。
親鸞は「その身に満足せしむるなり」と説明しています。
「その身に」ということは自分自身として、ああ、よかった、これでいいんだ、と思うことです。
たとえどんな人生でも、良い人生だったと思うことです。

とまあ、こんな説明ではいかにも粗雑ですが、要は、他者と人と比較するのではなく、自らは自らだと思うことです。いや、ますます粗雑な説明ですね。

一昨日、わが家の愛犬チビ太が息を引き取りました。
この1年ほどは、もしかしたら延命行為を私たちはしていたかもしれません。
自らでは食事もできず排泄もできないのですから、もし野生に生きていたら、生きてはいけなかったでしょう。
ですから、寝たきりチビ太をみていて、彼は幸せなのだろうかと考えたことは何回かあります。
しかし、その一方で、犬には「死」という概念もなく、死への不安もないのだろうとも思っていました。
ただ、いま置かれている状況に素直に従っている、と考えると、それこそ親鸞のいう「自体満足」なのかなと思ったりしていました。

チビ太がいなくなって、その「自体満足」の意味をもっと知りたくなりました。
ネットで少し調べてみましたが,私が知っている以上のことは見つかりませんでした。
それで、少し親鸞の本を読んでみようと思ったわけです。

「自体満足」は、最近の私の心境です。
心の平安も、未来への希望も、もはや望みうべきもありません。
ましてや、満足など得られるはずもない。
だからこそ、「自体満足」なのです。
これが、もしかしたら親鸞の生き方なのかもしれません。
中途半端に親鸞の入門書を読んで、そんな気がしてきています。
かなり勝手な解釈だろうなとは、自覚していますが。

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2013/08/08

■節子への挽歌2149:チビ太がいない

節子
今日も、朝、チビ太が気になっては役目が覚めました。
そして、ああ、そうだ、今日はチビ太はいないのだと気づきました。
いつもチビ太が寝ているリビングにいったら、やはりそこにはチビ太はいませんでした。
当然にことなのですが、やはり実際に体験しないと実感できないのです。
チビ太のいない、いつもとはちがったリビングに行って、急に胸が締め付けられるような悲しみを覚えました。
昨日はあまり感じなかったのですが。
こうして、だんだんと別れの実感が高まってくるのでしょう。

人の意識と表情は必ずしも一致していません。
昨日、火葬場から戻った時に、娘から言われました。
お父さんも「目を真っ赤にしていたね」と。
私の意識では、そんなことはまったくなく、あまり感情を感じていなかったのですが、身体には素直に出るものかもしれません。
それが心に入りこんでくるまでには、時間がかかるのです。

チビ太がいないので、食事や排泄などの世話が不要になりました。
結構それが大変でしたが、同時にそれはまた、自らが癒される時間でもあったわけです。
その時間がなくなってしまいました。
楽になったのは事実ですが、代わりに失うものもあるようです。

この挽歌を読んだ方が、早速、メールをくださっていました。

チビ太くんは佐藤さんと一緒に暮らせてきっと幸せだったでしょう。
天寿を全うしたのだと思います。
この方も、15年ほど前に、子どものように育てていたラブラドールを亡くされたそうです。

一緒に暮らしていた「いのち」の死は、時間をかけて、心に入り込んできます。
今年は、また例年よりも辛い夏になりそうです。

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2013/08/07

■節子への挽歌2148:チビ太も頑張ってくれました

節子
チビ太が息を引き取った時に、すぐに頭に浮かんだ言葉が、「チビ太が死んだ」です。
そして、カミユの小説「異邦人」を思い出したのです。
それが前の挽歌の書き出しなのですが、知らない人にはなにがなんだかわかりませんね。
まあ、この挽歌には、そういうところが少なくありませんが。
ちなみに、カミユの小説である「異邦人」と「ペスト」は、私にとってはさまざまなことを考えるきっかけを与えてくれた本です。
節子と出合ったころは、おそらくその影響を強く受けていたはずです。
私の信条は、その時も今も、自らに誠実であることです。
「異邦人」の主人公ムルソーと「ペスト」の主人公リウーは、全く別の意味ですが、誠実な生き方をしています。

チビ太の死で、なぜこんなことを思い出したのでしょうか。
その脈絡は、私にもまだわかりませんが、きっとどこかでつながっているのでしょう。

チビ太は近くの動物霊園で火葬してもらいました。
娘たちも一緒でした。
小さな犬でしたが、遺骨はしっかりと残っていました。
骨壷が、節子の時とほぼ同じ大きさなのには驚きました。
いや、そんなはずはないですね。
たぶん私の思い違いでしょう。

骨壷を節子の位牌壇に置きました。
しかし、チビ太が骨壷の中にいる気はまったくしません。
むしろ部屋のどこかにいるような気がします。
節子が遺骨になって帰ってきた時も、こんな感じだったのでしょうか。
魂は、やはり肉体の死とともに肉体から解放され、新しい生を生きているに違いありません。
やはりそういう気がしてなりません。

それにしても、チビ太も暑さにもめけずに頑張ってくれました。
私たちを癒してくれた18年間に感謝します。
しかし、こうやって次々と愛するものたちは去っていってしまうのでしょう。
その意味が、最近わかってきたような気がします。

今日はすべての用事をキャンセルしたのですが、お風呂にも入りたくないほど疲れました。
愛するものとの別れは、心身を異常に消耗させるのです。
チビ太はまだ節子のところには行っていないでしょうが、節子にはおそらくもう見えているでしょう。
明日から毎朝、チビ太にも祈りをささげましょう。

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■節子への挽歌2147:今朝、チビ太が死んだ

今朝、チビ太が死にました。
異邦人ムルソーのママンが死んだ日と同じく、暑い日になりました。
午前中、息をしなくなったチビ太の横で過ごしました。
もう2年前にお医者さんからは宣告されていましたので、2年間、がんばったねという思いはありますが、悲しみはありません。
しかし、悲しみはないのですが、言葉にはならない疲労感が全身を覆ってしまったような感じです。
見る限り、昨日と全く同じように、チビ太は横たわっています。
違いは、声をかけても反応しないことです。

チビ太が寝たきりになってから、もう1年ほどは経つでしょう。
この半年は、身動きもほとんどできなくなっていました。
いつもただただ寝ているだけで、排泄や飲食を定期的にさせてやるだけでした。
だから見た感じは、いまもそう変わりません。

1週間ほど前から、調子が悪くなり、食事もなかなかできなくなりました。
幸いなことに痛みなどを訴えることはありませんでしたが、衰弱してきているのがよくわかりました。
まもなく18歳の誕生日だったのですが、そこまでいけるかどうかが、家族みんなの思いでした。
残念ながら行けませんでした。

昨夜、帰宅した時には、息の音が強くなっていましたが、まあもう少し大丈夫だろうと思いました。
今朝、下にいった娘が、様子がおかしいと声をかけてきました。
それで私も急いで降りていきました。
それから少しして、チビ太は息を引き取りました。
私がちょっと2階に上がった合間でした。

娘は、チビ太は、みんなに会うまで頑張ったのだといいました。
そういえば、これまで見送った両親も節子も、みんなそうでした。
最後の時間は、自分で決められるのかもしれません。

ますます夏は嫌いな季節になるなあ、と娘が言いました。
チビ太がいなくなって、明日からどうなるでしょうか。
ムルソーではないですが、夏はそれでなくとも、人をおかしくします。

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2013/08/02

■「失言」には必ず「真実」が含まれています(2013年8月2日)

また麻生元首相の失言が問題になっています。
今回の失言は、現在の自民党トップ層の本音を鮮やかに露呈しています。
マスコミは「失言」と騒ぎますが、これは失言などではまったくなく、本音が素直に出ただけの話です。
にもかかわらず「失言」などと言う表現がとられるために、問題の本質が曖昧になってしまいます。
マスコミは、いつも事の本質には近寄りたがりません。
だから、それを読み解くのは、私たち一人ひとりの問題です。
麻生元首相は、間違って表現したのではなく、素直に正直に正しく表現したことを前提にして考えなければいけない問題です。

これは今回の発言に始まったことではありません。
これまでも繰り返し行われてきたことです。
「失言」した人の言葉が問題なのではなく、「人」が問題なのですが、多くの場合、言葉の問題として処理されてしまいます。
ですから何も変わらないわけです。
「言葉」の問題は「言葉」で解決されてしまいがちなのです。
これは「言葉の魔力」です。

以前、安冨歩さんの「正名は現代社会が最も必要としている思想である」という指摘を紹介したことがありますが、すべての出発点は「正名」にあると思います。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2012/06/post-f9d2.html
マスコミは、言葉を操って、結果的に、事実を改ざんし、読者を方向づけます。
「意図的」では必ずしもないでしょうが、「未必の意図」は感じられます。
言葉を使う以上、やむをえないことではありますが、だからこそマスコミは姿勢を明確にしなければいけないのと、自らの言葉で表現していかねばならないと思います。

しかし、麻生元首相の今回のナチ発言はいま日本で起こっていることを垣間見せてくれました。
失言などといって問題を矮小化せずに、大きな流れを見るための契機にできればと思います。
「失言」には、必ず「真実」が含まれています。

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2013/08/01

■節子への挽歌2146:「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」

「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」
哲学者ヴィトゲンシュタインの言葉です。
なぜ沈黙しなければいけないのか。
それは、語りえないからです。
この言葉に出会ったのは、もう大昔のことですが、当時、もう一つ好きな言葉がありました。
「語りえるものはすべて存在する」
この言葉が誰のものだったかは、思い出せません。
アーサー・クラークだったでしょうか。

最近、思っているのは、いずれでもありません。
「語りえぬものについてこそ、語りつづけなければならない」
この挽歌を書いていて、あるいは時評編を書いていて、そう思うのです。
語りえぬことも、思い描くことはできます。

いま思い出したのですが、アーサー・クラークが言ったのは先ほどの言葉ではなく、もしかしたら、「思い描けるものは必ずいつか実現する」だったかもしれません。
時間感覚をゆるやかにすると、実現するとは存在することと言ってもいいでしょう。

語りえぬものは、なぜ語りつづけなければいけないのか。
それは、語りえないからです。
語りえないが故に、語り続け、いつか語れるようになったら、もはや語ることもない。
こう書くとわかりやすくなります。
ヴィトゲンシュタインのメッセージとは離れてしまうかもしれませんが、まあたかだか挽歌なので、それは許してもらいましょう。
しかし、ヴィトゲンシュタインには彼岸についてももっと語ってほしかったものです。
思考を深めていくと、必ずそこに彼岸が現れだしてきます。
言語学者としては、「言語」で語れないことを語れないといったのかもしれませんが、人が語るのは決して「言語」だけではありません。
言語には、それこそ「言語」にならないものがたくさん合体されているのです。
そして、沈黙こそが最高の雄弁であることがあるように、沈黙しても語れることはたくさんあります。

最初はまったく違うことを書こうと思っていたのですが、なにやらヴィトゲンシュタイン的になってしまいました。
最初は、語りえぬものの向こうに見えるものがあるというような話を書くつもりでしたが、書いているうちに矛先が変わってしまいました。
だからこそ、語りえぬものを語り続けることが大切なのです。
新しい世界との出会いがあるかもしれないからです。


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