■節子への挽歌2171:かっぱまつりは賑わってきましたが
節子
昨日は我孫子のかっぱまつりでした。
湯島から帰ってきたら、駅前の大通りが交通規制されていて、道の真ん中に屋台が並んでいました。
年々、賑やかになっていきます。
今年から、いわゆる「ゆるキャラ」も登場しています。
節子がいなくなってから、地域イベントに参加することもなくなってきましたが、正直に言えば、そうした賑わいも、どこか遠い世界のようにも感じられます。
生活の伴侶を亡くすということは、生活を支えている地域とのつながりさえも変えてしまうものです。
あの日以来、私を取り巻く時間も空間も、なにかリアリティのない、無機質なものに変わってしまったような気がします。
娘たちが大きくなってからは、地元のお祭りにも、節子と一緒に行った記憶がありません。
なぜもっと節子と地元での生活をきちんとしなかったでしょうか。
いや、もしかしたら、そうした記憶がすべて消えてしまったのかもしれません。
そんな気もします。
お祭りには楽しい記憶よりも、悲しい記憶が多く、それが記憶を封じているのかもしれません。
なぜかお祭のことを思い出そうとすると涙が出てくるのです。
屋台で賑わう道を歩いていたら、近くの寺田太郎さんに会いました。
そういえば、寺田さんに会うのは久しぶりです。
元気ですか、と寺田さんは声をかけてきました。
私が元気なく歩いていたのかもしれません。
昨日は元気がなかったのです。
そして我孫子駅に着いた途端に、なぜかとても感傷的になってしまっていたのです。
今日もお祭りですが、朝、起きたら雨でした。
今日もまた、あまり元気が出ません。
湯島での集まりがあるのですが、今日はうまく乗り切れるでしょうか。
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