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2013/08/31

■節子への挽歌2188:今年の8月は2007年の再来

節子
今日で8月も終わりです。
あっという間の8月でした。

それにしても、暑い夏でした。
節子が闘病していた6年前の2007年の夏も、とても暑かった。
テレビでも、よく2007年以来の暑さだと報じられていました。

あの夏が、もう少し涼しかったなら、節子は夏を超えることができたかもしれない。
夏を超えれば、奇跡が起こったかもしれない。
今でも、時々、そんなことを考えることがあります。

その一方で、あの暑い夏を家族4人で懸命に乗り越えようとしていたことが、なんだか現実には思えないこともあるのです。
頭に浮かぶ風景は、見事なほど、うすぐらい部屋の風景なのです。
あの年の8月は、私も家から出なかったのかもしれませんが、断片的にはともかく、みんながどうやってあの夏をすごしていたのか思いだせません。
思い出すことを、なにかが封印しているのでしょう。
2007年の8月は、私の人生では、空白に近い、あっという間の8月だったのです。

しかし、実際には、実に長い8月だったはずです。
ていねいに思い出せば、密度の高い8月だったでしょう。
にもかかわらず、思い出だしたくない、何かがある。
そこに、不誠実で利己主義の自分を見つけることが怖いのかもしれません。
だから、あっという間の8月にしておきたいのかもしれません。

今年の夏も、なぜかあっという間でした。
暑かったのも、その一因ですが、それだけではありません。
節子がいなくなってから、ある人から言われたように、「たが」がはずれたように、さまざまな問題にコミットしてしまっています。
自分を追いつめたくなる無意識の意識が働いているのかもしれないと、自分で思うこともあります。
その重荷につぶされそうになったり、人間不信に陥りそうになったり、寝不足で疲労蓄積したり、いやそれ以上に、世間の人たちの無明さを呪いたくなったり、そんななかで、逃避したくなることが増えているのです。
辛すぎる現実からは逃げたくなる。
だから今年の夏は、あっという間だったのです。

2007年の夏もあっという間だった。
逃げたかったのです。いや逃げているのです。
だからきっと2007年も今年も、暑かったのです。
今夏の暑さは、地球温暖化のせいではなく、たぶん節子のせいなのです。
6年前を思い出せ!
きっと節子がそう言っているのです。
今年の暑さを、私はそんなふうに受け止めています。

今年の8月は、私にとっては、2007年の再来だったのです。

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