■節子への挽歌2172:懺悔
節子
今週は節子の七回忌の週なのですが、そのせいかどうか、節子に救いを求めたいくらいの心理状況になっています。
この数日、娘たちといろいろと話していますが、どうも私は夫として、父親として、欠陥だらけです。
それがいよいよはっきりしてきました。
節子とは、かなり良いカップルだったとしても、社会的な意味では、そこから出られなかったのかもしれません。
よく言えば、節子を愛しすぎたともいえますし、悪く言えば、自己中心主義だったともいえます。
この歳になって、しかも節子がいなくなってから、それに気づかされるのは、かなり辛いことです。
ひとりで、その気づきに対処しなければいけないからです。
節子の七回忌を前に、こんな状況になるとは思ってもいませんでしたが、そういう生き方を節子が気づかせてくれたのかもしれません。
なんとなく感じてはいたのですが、昨日、娘と話し合って、見事なほどに問題が明確になりました。
もっとも節子もまた、私とほぼ同罪です。
私たちはあまりに一体化しすぎていたようです。
ここは反省し、悔い改めるしかできません。
節子の七回忌法要を、私の生き方を見直す機会にできればと思います。
気持ちを静めるために、節子にも一緒に考えてほしいと思います。
どうやら私たちは、大人になれていなかったのかもしれません。
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