■節子への挽歌2176:焼香の回数
節子
最近、娘たちから、お父さんはあまりにも常識がないのではないかと言われています。
娘から言われなくても、そんなことはよく知っています。
しかし大切なことは、「常識がないこと」ではなく「常識がないことを知っていること」です。
私は自分が常識がないことを知っていますので、問題はないのです。
それに、知らないことがあれば、質問すればいいだけです。
知らないことを知ることが大切なのです。
というような小理屈に、節子は40年も付き合ってきたわけです。
長年、そういわれていると、そんな気になるもので、節子もそう思うようになっていました。
知らないことは質問すればいい。
法要では、ご住職がいつも始まる前に話をしてくれます。
途中、挙手して質問したくなることがいつもあるのですが、さすがに法要の法話ともなるとやや控え目になってしまいます。
我慢することが多いのですが、今回もまた質問してしまいました。
お焼香は何回したらいいでしょうか。
節子がいたら笑い出すような質問です。
答えはわかっています。
何回でも心の思うままに、が私的には正解であることを節子は知っているからです。
私の質問は、答えを求めているのではないことを、節子は知っていました。
答えを求めない質問をなぜするのか。
私の意図は、参列者のみなさんに、ちょっと考えるきっかけを持ってもらいたかったのです。
ただ焼香するだけでなく、その意味をちょっと考える。
こうしたことが最近は少なくなっているのです。
答えは、それぞれが考えればいいのです。
みんな考えるのではなく、だれかが考えて得た知識を知っているだけなのです。
そうした生き方が、社会をおかしくしてきたように思います。
ご住職の回答は、とてもわかりやすかったです。
要は何回でもいいというのです。
心を込めた1回でも、仏法僧に対する3回でも、時間があれば、何回でも、と説明してくれました。
回数だけではなく、焼香の意味も話してくれました。
ちなみに、私も少し考えることがありました。
毎朝、お線香をあげるのですが、そのあげ方を変えることにしました。
私もまだ少し前に向かって進んでいるようです。
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