■節子への挽歌2181:記憶は書き換えられるものです
節子
昨日のみんなの話は聴いていたでしょうか。
昨日は、自宅の節子の位牌壇の前で、節子の義姉夫婦と娘たちと夕食をゆっくりととりました。
節子の話でもちきりでした。
節子のがんが発見された時からの話をみんなにきちんとするのは、もしかしたら初めてかもしれません。
節子が聴いているとしたら、ほんの少しだけ、節子が知らなかったことがあったかもしれません。
節子が発病した少し後に、節子の母にもがんが発見されました。
節子は手術からの回復がなかなか進まずに、見舞いにもいけず、また自分の病気のことも話せずに、辛かっただろうと思います。
少し回復し、長旅もできるようになって、娘と一緒に帰郷しました。
理由は思い出せませんが、私ともう一人の娘は同行できずに、後で行くことにしていたのですが、節子が見舞って帰宅してすぐに、お母さんの訃報が届きました。
私の記憶では、家族4人でお母さんを見舞いに行ったとばかり思っていましたが、そうではありませんでした。
家族全員で行ったのは、節子の発病の前だったかもしれません。
ことほど左様に、過去の記憶はいい加減です。
自分に都合の良いように、記憶は書き換えられるのです。
みんなで話していて、それぞれの記憶違いがたくさん出てきました。
節子に関する私の記憶も、たぶんかなり書き換えられているのでしょう。
しかし、昨夜の話し合いながらの長い夕食は、一番の七回忌になりました。
節子もきっと喜んでいるでしょう。
もしかしたら、みんなの記憶違いにイライラしていたかもしれませんが。
節子は、いつまでも思い出してくれる人が多くて、幸せな人です。
人の生き方は、いなくなってからこそ、見えてくるものです。
私も節子を見習わなければいけません。
しかし、こればっかりは、思い通りに行かない話です。
やはり、その人の持っている定めなのかもしれません。
それに、早く逝った人の特権かもしれません。
節子は、実に罪つくりな人です。
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