■節子への挽歌2177:一瞬の蜘蛛
節子
いま、パソコンでこの前の挽歌の文章を書いていたのですが、それをアップしようとして、キーボードをクリックした時、突然画面に1センチほどの蜘蛛が現れました。
あれっと思ってよく見ようとしたら、それが一瞬にして消えてしまいました。
パソコンの画面の周辺は、ちょっとちらかっているのですが、少し探しましたが、見つかりません。
しかし、間違いなく、蜘蛛でした。
どうして私の部屋に蜘蛛がいたのでしょうか。
最近見たことがありません。
蜘蛛は、古今東西にわたり、さまざまな意味を与えられる象徴的な生き物です。
文学作品でも、よく使われます。
悪い意味もあれば良い意味もあります。
ともかく蜘蛛は、ちょっと異質な存在で、どこかに異質な世界とのつながりを感じさせる生き物です。
私は昔から、蜘蛛は彼岸と此岸とを往来しているような気がしていました。
子どもの頃は、大きな蜘蛛の巣に出会うと、その向こうに、異次元の彼岸が開けているように感じてました。
キリスト教でも、蜘蛛は天と地をつなぐものとして、キリストの昇天につなげて考えているようです。
その一方で、悪をなすものは蜘蛛の巣を折るという言葉もありますが。
その蜘蛛が現れ、一瞬にして消えたのです。
決して見違えではありません。
もっとも、蜘蛛はとても俊敏な生き物ですから、一瞬にしてかなりの距離を跳躍します。
だから、単に私の気配を感じて、飛び去ったのかもしれません。
しかし、それにしてはあまりに見事に瞬時に消えたのです。
T.S.エリオットは、蜘蛛がお墓に巣を張りめぐらすことから、人の心を慰める忘却を表わすと書いているそうです。
大きな蜘蛛が、生き物に巣を絡ませて、彼岸に誘う場面はホラー映画などにも出てきますが、視点をかえれば、此岸の苦難を、やわらかな蜘蛛の巣で包み込んで、穏やかな彼岸へと招き入れているのかもしれません。
愛する者を見送った人にとっては、黄泉の国もまた、平和な彼岸に通じていますし、死そのものが怖いなどという発想はありません。
私だけのことかもしれませんが。
あの蜘蛛は、どこから来て、どこへ行ったのか。
注意してパソコンの周りを見ながら、この挽歌をゆっくりと書いていたのですが、蜘蛛は二度と姿を表しません。
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