■節子への挽歌2183:似たもの姉妹
節子
姉夫婦は、在宅中に庭の整理をしてくれましたが、義兄が「節ちゃんもうちのと同じだね」と話してくれました。
何が同じかと言うと、植木鉢のことです。
ともかく、裏にはたくさんの植木鉢があります。
節子がいなくなってから、そのほとんどを枯らしてしまいましたが、植木鉢だけはまだだいぶ残っています。
節子は、花屋さんに行くたびに、花を買ってきました。
小さな庭に植えるところがないにもかかわらず、買ってくるのです。
それも処分価格の枯れかかったような花が多く、それを元気にするのです。
そうした鉢がたくさんたまり、季節が終わると家の裏に次の季節まで移されます。
節子がいなくなった後、そのままになってしまい、水やりも忘れがちだったので、ほとんどが全滅してしまったわけです。
義兄が「同じだね」と言ったのは、ともかく花が好きで、小さな鉢が多いと言うことです。
そういえば、昔、箱根に一緒に行ったことがあります。
駒ケ岳のケーブルを降りたところで、花を売っていました。
2人ともそれに引っかかってしまい、鉢を買ってきたのを覚えています。
その鉢は、もうどれかわからなくなっていますが。
そうして節子が集めた、草花の小さな鉢も、もうだいぶ減りました。
庭の片隅の山野草コーナーは、見る影もありません。
最初は大事にしていたのですが、どんどん枯らしてしまいました。
節子には、一つひとつが思い出の山野草だったのでしょうが、私にはその思い出が共有できておらず、しかもどんどん忘れてしまったために、思い入れが低かったのでしょう。
節子の残したものは、大切にしたいと思ってはいるのですが、それを実行するのは難しいものです。
もし、立場が替わって、私が先にいなくなったら、節子はたぶん私の本は処分してしまうでしょう。
私には愛着のある書籍も、節子には単なる1冊の本でしかないからです。
だから、それはまあ、仕方がないことなのです。
節子も、笑いながら諦めているでしょう。
でもまあ、これからはもう少し大事にしようと思います。
せっかく義姉が少し整頓してくれたのですから。
これから水やりです。
昨夜、ゆっくり寝たら、風邪はだいぶよくなりました。
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