■節子への挽歌2148:チビ太も頑張ってくれました
節子
チビ太が息を引き取った時に、すぐに頭に浮かんだ言葉が、「チビ太が死んだ」です。
そして、カミユの小説「異邦人」を思い出したのです。
それが前の挽歌の書き出しなのですが、知らない人にはなにがなんだかわかりませんね。
まあ、この挽歌には、そういうところが少なくありませんが。
ちなみに、カミユの小説である「異邦人」と「ペスト」は、私にとってはさまざまなことを考えるきっかけを与えてくれた本です。
節子と出合ったころは、おそらくその影響を強く受けていたはずです。
私の信条は、その時も今も、自らに誠実であることです。
「異邦人」の主人公ムルソーと「ペスト」の主人公リウーは、全く別の意味ですが、誠実な生き方をしています。
チビ太の死で、なぜこんなことを思い出したのでしょうか。
その脈絡は、私にもまだわかりませんが、きっとどこかでつながっているのでしょう。
チビ太は近くの動物霊園で火葬してもらいました。
娘たちも一緒でした。
小さな犬でしたが、遺骨はしっかりと残っていました。
骨壷が、節子の時とほぼ同じ大きさなのには驚きました。
いや、そんなはずはないですね。
たぶん私の思い違いでしょう。
骨壷を節子の位牌壇に置きました。
しかし、チビ太が骨壷の中にいる気はまったくしません。
むしろ部屋のどこかにいるような気がします。
節子が遺骨になって帰ってきた時も、こんな感じだったのでしょうか。
魂は、やはり肉体の死とともに肉体から解放され、新しい生を生きているに違いありません。
やはりそういう気がしてなりません。
それにしても、チビ太も暑さにもめけずに頑張ってくれました。
私たちを癒してくれた18年間に感謝します。
しかし、こうやって次々と愛するものたちは去っていってしまうのでしょう。
その意味が、最近わかってきたような気がします。
今日はすべての用事をキャンセルしたのですが、お風呂にも入りたくないほど疲れました。
愛するものとの別れは、心身を異常に消耗させるのです。
チビ太はまだ節子のところには行っていないでしょうが、節子にはおそらくもう見えているでしょう。
明日から毎朝、チビ太にも祈りをささげましょう。
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