■節子への挽歌2170:人恋しさと死との距離
節子
今日は湯島でフォワードカフェをやりました。
テーマは、子どものいじめ問題でしたが、その報告は時評編にまわすとして、ここでの報告は菊井さんが参加したということです。
菊井さんは、湯島のサロンのファンで、いろいろと参加してくれましたが、昨年、大腸がんが発見され、大変でした。
まだ手術もできず、その前段階ですが、病院から昨年、メールを貰いました。
菊井さんには大変申し訳ないのですが、節子を見送った後、病院への見舞いができなくなりました。
とりわけ「がん」となると生理的に拒否反応が出るのです。
菊井さんは、節子も知っていると思いますが、私よりも年上で、シニア支援にかなり関わってきた人です。
まさかこの暑さのなか、菊井さんがやってくるとは思ってもいませんでしたので、とてもうれしかったです。
かなり動きはゆっくりになりましたが、あの菊井さんでした。
菊井さんがポツンと話しました。
人が恋しくなって、出てきました、と。
私たちの年齢になると、たぶん死へのこだわりはあまりないでしょうが、人に会いたくなるかどうかは私にはわかりません。
というのも、節子は限定された数少ない人を除けば、あまり人と会いたがりませんでした。
痩せてしまった姿を見せたくなかったのでしょうか。
それもあるでしょうが、それだけではないような気がしています。
もう一人、会社時代の私の先輩が、やはり体調を崩した時に、私がお見舞いに行こうと思ったら、もう少し待ってほしいといわれました。
なかなか許可が出ないので、ともかく行こうと思って、連絡をしようと思ってた、まさにその時に訃報が届きました。
もう一度、会いたかった人です。
そういえば、最近なくなった野原さんも、私には連絡してきませんでした。
なにやら菊井さんには、失礼な書き方になっているかもしれませんが、人に会いたいと思うのは、死と縁遠いところにいることを、心身が知っているからかもしれません。
私の場合は、どうでしょうか。
最近、あまり人に会いたいと思うことがありません。
会っても、思っていたほどには感激しないのです。
これは、節子を見送った後から、ずっとです。
もしかしたら、死が近くにあることを、心身が知っているのかもしれません。
さてさて、どうなりますか。
今日もまた、疲れました。
昨夜も深夜に目が覚めて、本を読んでしまっていたので、寝不足なのです。
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