■節子への挽歌2165:やはりちょっとタガが外れているかもしれません
節子
昨日、田中さんに指摘されたように、少し立ち止まって考えてみると、やはり「タガ」が外れてしまっているのかもしれません。
たしかに、いろんなことを安直に引き受けて、結果的には中途半端な対応になっているものも少なくありません。
しかもテーマも多様で、スタイルもさまざまです。
どう考えても一人でさばききれるはずがありません。
にもかかわらず、やりたくなってしまうのは、無責任としか言いようがありません。
実に困ったものです。
ただ、節子がいなくなってから、私には時間がすべて平坦になってしまいました。
メリハリもなく、ただただ目の前にある課題を処理し、特に趣味に埋没したり、節子と未来や過去や愛を語ったり、旅行に出かけたりする時間はまったくなくなったわけです。
対価をしっかりともらってやるような仕事は、節子がいなくなってからはしていませんので、どうしてもやらなければいけない仕事もないわけです。
だから、時間はありあまっているわけですが、絶対にやらなければいけないという緊張感がないので、だらだらと時間を使ってしまっているわけです。
そしてちょっと気を抜くと、予定通りにならないわけです。
でもそれでも、「まあいいか」と思ってしまうわけで、結果的に無責任になってしまうわけです。
実に困ったものですが、肝心の本人は、それもまた「まあいいか」と考えてしまうので、さらに困ったものなのです。
しかも、抱えている問題は、そう簡単ではなく、中には真夜中に目が覚めて眠れなくなるようなものもあります。
相談に答えるために、さすがの私も緊張してしまうような、繊細の問題も時にはあるのです。
そして、時々、脳疲労状態を起こし、何もしたくなることがあります。
実は今がその状態です。
若老師の鈴木さんからメールが届いていました。
たいへんなことが多そうなのに、そうでもあり、そうでもない。
佐藤さんはどうもそれを楽しんでいるかのようです。
そうですよね~?
今日は本当に疲れました。出だしはよかったのですが。
今は、このまま彼岸に旅立ちたいくらいです。
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