■節子への挽歌2164:幸せな生き方
節子
昨日、久しぶりに田中弥生さんが湯島に来ました。
1年半ぶりかもしれません。
田中さんは、最近は活動範囲を広げて、政府関係の委員になったり、日本NPO学会の会長になったり、主体的なNPOの評価活動をしたり、大活躍です。
それでまあ、私も最近はあまりコンタクトしていなかったのです。
最近の私の状況を知って、田中さんから「節子さんがいなくなってから、佐藤さんはタガが外れたのではないですか」と言われました。
私が、だれの相談にも乗りすぎて、コミットしすぎるというわけです。
まあ、たしかのその傾向は否定できません。
どこかで、人生を投げているところが自分でも感じます。
田中さんは、私が会社を辞めた後の人生に少なからず影響を与えてくれた人です。
私がNPOや保育の世界に関わりだしたのは、田中さんのおかげです。
彼女には感謝していますが、私は体制から離脱して生きる道を選び、田中さんは体制に正面からぶつかる道を選んでいますので、田中さんと活動を一緒にすることはありません。
しかし、田中さんは、私の取り組んでいるコムケア活動にはいつも協力してくれています。
最初、会った時には、田中さんは仕事とバレエを両立させようと頑張っていました。
節子と一緒に、田中さんのバレエを見に行ったこともあります。
残念ながら私には全く興味はなかったのですが。
その頃の田中さんは、いささか挑発的な小悪魔といった感じもありましたが、今はさまざまな分野で実績も上げている活動家の一人です。
多くの場合、社会での居場所が安定すると、退屈になってしまいます。
昨日、うれしかったのは、田中さんが退屈になっていなかったことです。
そして、迷い悩んでいることです。
いや、むしろどんどんラディカルになっています。
それもソフィストケートされてきているのです。
今朝、フェイスブックを開いたら、田中さんが、私に会ったことを書き込んでいました。
その最後に、次の一文がありました。
知り合って25年以上が経ちますが、幸せな生き方とはどのようなものなのか、無言で教えてくださっているように思えます。幸せといえば幸せ、不幸といえば、不幸、なのですが、まあこういってくれる人があるということは、幸せなのでしょう。
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