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2013/08/15

■日本とエジプトとどちらが「平和」なのか

今日は終戦記念日です。
エジプトのデモにまた軍隊が排除行動を起こし、たくさんの人が亡くなりました。
実に痛ましいことです。
黙祷をしながら、そう思いました。

さらに思ったのは、日本とエジプトとどちらが「平和」なのかということです。
閣僚が2人、靖国参拝をしました。
私にはあまり興味のないことですが、この人たちの「平和観」ってどうなっているのかなと思いました。
戦争を起こした人が、特に厚く祀られている靖国神社に行くのではなく、エジプトの平和も祈ってほしいとも思いました。
一国の政府の閣僚であれば、エジプトの平和に対して、私よりもできることはいろいろとあるだろうなとうらやましく思います。

エジプトに比べれば、日本のほうが平和だとは、私には断言できません。
原発事故のことを思えば、エジプトに比べて日本が安全だとさえ言えないような気がします。
エジプトの人たちは、自らの未来が見えているのに対して、日本の私たちには未来が見えていないような気もします。
安全と平和とは程遠いところに向かって、私たちは進んでいるような気もします。

先週、ネグリとハートの最新作「叛逆」(NHKブックス)を読みました。
そこに出てくる文章を思い出します。

2011年初頭、徹底した不平等を特徴とする、社会的・経済的危機が深まるなか、「これ以上の災厄が身に降りかからないようにするためには、支配権力者たちが決めたことを信じ、その導きに従うべきだ」という常識が幅を利かせているようにみえた。むろん実際には、金融と統治の支配者らは圧政者にほかならなかった。彼らにこそ危機を生みだした主たる責任があったのだろうが、私たちには何の選択肢もなかったのである。
だが、2011年に生じた一連の社会的闘争は、この常識を粉砕し、新たな常識=〈共〉的感覚を構築し始めた。

「叛逆」はネグリの本にしては、読みやすく平易で具体的です。
多くの人にぜひ読んで欲しい本です。

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