■節子への挽歌2154:6回目の迎え火
節子
今日は、お墓で6回目の迎え火を焚きました。
暑いので、般若心経は中抜きで我慢してもらいました。
娘夫婦も含めて、お墓にお参りし、節子と一緒に帰宅しました。
お盆の時は、仏壇は閉めて、その前に精霊棚をつくります。
今年は、そこに節子の位牌とチビ太の遺骨を置きました。
チビ太はまだ旅立ちの途中ですので、位牌はできていません。
その前で、みんなで食事をしました。
うっかりして、節子に供えるのを忘れました。
薄情な家族です。
峰行が、まだチビ太の匂いが残っていますね、といいました。
2年以上も寝たきりでしたので、匂いが部屋に染み付いているのかもしれません。
しかし、匂いではなく気配かもしれません。
そこに「いるもの」がいないと、やはり不思議な気がするもので、なにかを感知するのです。
暑さもあって、今日はなぜかひどく疲れました。
昨年までは、お盆で節子が戻ってきたという思いで元気になったのですが、6回目ともなると感ずることもなくなってしまいました。
それに、いつも節子はわが家に居るような気がしているのに、お盆だからといって、迎え火をして、もうひとりの節子を呼び込んでしまうのも、考えてみると、理屈に合いません。
いまわが家にいる節子は、いったい誰なのでしょうか。
さて、この問題はどう解決すればいいか。
疲れた頭で考えるには、いささか難解すぎる問題です。
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