■節子への挽歌2162:「音のない記憶」写真展
節子
今日から「音のない記憶」写真展がアートガレー神楽坂で開催です。
タイトルは「ろうあの写真家・井上孝治と評伝作家・黒岩比佐子の世界」です。
いろいろな友人が開催に関わっています。
節子がいたら、すぐにも行ったでしょうが、どうも足が向きません。
黒岩さんが亡くなってからまもなく3年です。
節子の供花にわが家まで来てくれた時には、まさかがんになるとは思ってもいませんでした。
黒岩さんから、がんが発見されたとメールが来た時には驚きました。
それからの黒岩さんの生き方は、壮絶としか言いようがありません。
黒岩さんは、湯島のオープンサロンの常連でした。
いつか手の届かない人になってほしいね、と節子は期待していました。
もちろん黒岩さんは、どんなに有名になっても、手が届かなくなることのない人でした。
その黒岩さんも、逝ってしまいました。
音のない記憶写真展のポスターには、井上さんの写真が使われています。
この写真は、本の表紙を飾った写真です。
最初にその写真を見た時、氷をなめている子どもが私のような気がしました。
私の子どもの頃には、こんな風景はよくありました。
「音のない記憶」が出版されたのは、これもサロンの常連の藤原雅夫さんの尽力のおかげです。
ですから黒岩さんは、湯島のサロンをとても大事にしてくれていました。
であれば、黒岩さんの追悼サロンくらい、やればよかったのですが、なぜかその気が起こりませんでした。
今回の写真展の主催団体の一つは、「語り継ぐ黒岩比佐子の会」です。
最初、私もこの会にたぶん関わる立場にいたように思います。
しかしなぜか違和感があって、活動には全く反応しませんでした。
語り継ぐほどの距離感がつくれないからです。
黒岩さんは、私たちには評伝作家でもなんでもなく、ただ口角泡を立ててしゃべりだしたらとまらない人でした。
「語り継ぐ黒岩比佐子の会」の話があった時に、なぜか無性に腹立たしかった記憶があります。
いまはそんな気は起こりません。
黒岩さんの最後の作品になった「パンとペン」は傑作です。
節子は彼岸で黒岩さんと会っているでしょうか。
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