■節子への挽歌2153:「いまここ」を大切に生きる
節子
節子の実家は浄土真宗ですが、浄土真宗とはもともとは「浄土を真の宗(よりどころ)として生きる」人たちという意味なのだそうです。
私はこのことをつい最近知りました。
浄土を拠りどころにして生きるとは、とても共感できる生き方です。
浄土とは何かに関しても、さまざまな考えがありますが、私は「いまここ」が浄土だと考えています。
なぜなら、私の心身に居る「仏」を信じているからです。
仏がいる「いまここ」を浄土と思わないことは、私の中に居る仏性をおろそかにすることです。
こういう解釈は、節子だったら長年の会話を踏まえて理解してくれるでしょうが、あまり一般的な捉え方ではないでしょう。
しかし、「いまここ」を素直に生きることが、浄土真宗だとしたら、それもまた素直に受け容れられます。
節子がいなくなってから、私はますます思いつくままに生きられるようになってきました。
いや、思いつくままにしか、生きられなくなったというのが適切かもしれません。
そして、素直になると、とても生きやすくなることも学びました。
「いまここ」を大切に生きる。
これは死を意識してからの、節子の生き方でした。
まさに、浄土真宗徒。
私は、最近ようやくその意味を体得できたような気がします。
「いまここ」を大切に生きるとは、何かのために生きるのではなく、まさに「いまここ」を素直に生きることなのです。
明日は「迎え火」です。
ユカが準備をしてくれました。
明日から4日間、節子の位牌は仏壇の大日如来から解放されます。
今年は、チビ太も一緒です。
| 固定リンク
「妻への挽歌11」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2200:宝くじを買わないと人生を全うできない感じです(2013.09.10)
- ■節子への挽歌2199:退歩(2013.09.09)
- ■節子への挽歌2198:相思花(2013.09.08)
- ■節子への挽歌2197:彼岸花が咲き出しました(2013.09.07)
コメント