■節子への挽歌2182:姉夫婦の幸せな生き方
節子
敦賀の姉夫婦が帰りました。
わが家での4日間は、姉夫婦にとっては窮屈な4日間だったかもしれません。
生活のリズムも違っているでしょう。
それに、節子がいるといないとでは、だいぶ違うでしょう。
姉夫婦はとても仲が良いのです。
もしかしたら、私と節子以上に仲良しです。
それに、実に豊かな暮らしをしています。
節子がいつも、2人の生き方を羨むほどでした。
誤解があるといけませんが、豊かだというのは経済的な意味ではありません。
そうではなく、時間とお金の使い方が、とても豊かなのです。
むしろ、お金がないだけ、豊かだといってもいいでしょう。
お金は人生を貧しくしがちです。
農業を営んでいますが、儲けようなどという気は全くありません。
夫婦とも、とても気がいいので、いろんな役割もまわってくるようです。
姉の生家のある集落のお寺の改修費用が足りなくなったと言われて、寄付の奉加帳がまわってきた時も、依頼された金額を上回るお布施をしています。
節子だったら、たぶん言われた通りの金額にしていたでしょう。
だからと言って、お金があるわけではなく、金銭的には決して豊かではないと思います。
しかし、ともかくお金は「使うもの」と考えているようです。
それに、だれかに何をしてやることが大好きなのです。
時間さえできれば、2人でドライブで遠出します。
そのくせ仕事をしないわけではありません。
ともかくいつでも身体を動かして何かをしています。
今回も、わが家に宿泊していましたが、朝起きてみると、庭の草むしりをしたりしているのです。
ともかく「働き者」なのです。
もちろんブランド物など買いません。
食べものも、ともかく出てきたものは何でも感謝しながらおいしそうに食べるのです。
だれかが何かを食べたいというと、自分たちでは食べもしないで、その人にご馳走します。
以前、私が蟹がほしいと言ったら、正規のタグの付いた高価な越前蟹を送ってくれました。
自分たちは、タグがついている蟹など食べたことがないそうです。
ちなみに、私が蟹がほしいと言ったのは、食べる蟹ではなく、池に放し飼いするサワガニだったのですが。
ともかく仲良しで、お金は貯金などせずに、人生を楽しんだり、周りの人のために使うのです。
まさに、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の人のような生き方なのです。
節子は、いつも、姉夫婦は人生を楽しんでいるね、と言っていました。
私も、心底、そう思います。
節子と私の生き方も、少し似ているところもありますが、義姉夫婦に比べれば、かなり貧しく、打算的なところがあることは、間違いありません。
その幸せな夫婦から、いろんなことを学びました。
節子がいなくなっても、付き合いがつづいているのがとてもうれしいです。
これも、節子のおかげです。
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