■節子への挽歌2168:思いを馳せることの大切さ
節子
3日ほど湯島に来なかったので、テーブルの上の白メダカのことが気になっていたのですが、元気でホッとしました。
夏は、日よけのカーテンをおろしておかないと水槽の水が熱くなり、酸欠もしてしまう恐れがあります。
水草もなかなかうまく育ちません。
しかし、白メダカは元気でした。
ベランダや室内の植物も何とか元気です。
ランタナは大きな鉢に移したので、1週間は水をやらなくても大丈夫です。
しかし、植物もメダカも、ちょっと気を抜くと突然、ダウンしてしまいます。
いのとあるものは、決して気を許せません。
自分だけは大丈夫だと誰もが思いがちですが、もちろん自分も同じです。
でもそれがなかなか実感できないのです。
少なくとも私はそうです。
暑さのせいもあるでしょうが、今年は少し心配な話もいろいろと届きます。
しかし、みんなに共通して言えるのは、自分が大変なのに、他者を思いやる姿勢です。
それが、いのちの本質かもしれません。
自らのいのちは、他者とのつながりのなかでこそ実感できますから、それは当然と言えば、当然なのですが。
相手を慮ることこそ、自らを大切にすることなのかもしれません。
そして、だれかに気づかってもらうことが、元気のもとなのかもしれません。
私が、なんとか元気なのは、いろんな人から声をかけてもらっているからかもしれません。
正しく言えば、いろんな人と声を「掛け合っている」からかもしれません。
いのちのつながりを感じられることが元気を支えてくれているわけです。
テーブルの上のメダカが元気なのは、もしかしたら湯島に来なかったけれど、自宅で私が心配していたのをメダカが感じてくれていたから、頑張れたのかもしれません。
あまり論理的ではありませんが、そう思うことにしましょう。
会えなくても、無限ともいえる遠くにいるとしても、思いを馳せることの大切さを感じます。
ちょっと気になるのは、愛する人を喪って、自分の世界に閉じこもってしまう人がいることです。
そういう人の、世界の扉を開く力が、私にあるといいのですが。
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