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2013/08/16

■節子への挽歌2158:6回目の送り火

節子
今日は送り火です。
今年のお盆はなにやら落ち着かないお盆で、お盆らしきことはあまりしませんでした。
まあ普段きちんとやっているので、あるいは普段もいい加減なので、節子は気にもしないでしょう。

迎え火は、なんとなく喜びがあります。
しかし、送り火は寂しさがあります。
にもかかわらず、みんな送り火をします。
せっかく自宅に迎えながら、帰してしまう。
なぜでしょうか。

フェイスブックに、「送り火をしないとどうなるか」と質問を投げかけたら、いろんなコメントがきました。
それらを読みながら、改めて、お盆というのは、問題を日常から外してしまう仕組みであると同時に、日常生活の矛盾や問題を調整する仕組みでもあると気づきました。
まさに「生活の知恵」です。
迎えたり送ったりするのは、先祖の霊でしょうか。
そこにも深い意味がありそうです。
しかし、そんな風に考えるのは、小賢しさの現われかもしれません。
節子なら、お盆にはちゃんと迎え火をたき、送り火をたけばいいというでしょう。
節子には、小賢しさがありませんでしたから、私でさえ、時に反省させられました。

節子がいた頃は、いつも一緒に迎え火をたき送り火をたき、お盆はしっかりとお供えもしました。
だからいまも、何となく、一緒に迎え火をたき送り火をたいている感じですから、話はややこしいのです。
お墓参りに行くときも、仏壇の位牌に向かって、一緒に行こうと呼びかけているのですから。

節子がいなくなってからは、両親の位牌を兄に託したこともあり、わが家に戻ってくるのは節子だけです。
節子はいつもわが家にいると私は思っていますので、お盆だからといって、特別の気がしないのです。
にもかかわらず、お墓に行き、精霊棚を整える。
人の行動は矛盾だらけです。

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