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2013/08/30

■節子への挽歌2185:「家族といえども多分わからないだろう」

挽歌を読んでくださった方から、こんなメールが来ました。

私もまだ 子供達とは話す機会はありません 
家族なのにとも 家族だからとも思います 
そして夫への思いは私だけのもので家族といえども 多分わからないだろうと悟りました 
人の思いは、まさに人それぞれです。
しかし、人間は身勝手で、自分が思うことは他の人も思うだろうと考えがちです。
しかし、そんなことはまったくありません。

節子を見送った私の気持ちは、娘といえども、わからないでしょう。
しかし、それは同時に、母親を失った娘たちの気持ちが、私にはわからないのと同じです。
節子を見送った後、お互いにそうした認識が薄く、わが家の家族も気分的に少し溝ができた時もあったような気がします。
いまでは、それぞれの思いが違うことに気づいていますが、時折、勘違いしてしまうこともあります。

一緒に住んでいた家族でもそうですから、家族以外の人とは、思いを共有することなどできるはずもありません。
喪失のショックが大きいと、視界が狭くなり、そういうことに気づかず、ますます狭い自分の世界に落ち込んでしまうこともあります。
私が、そうした底なし沼から抜け出したのは、たぶん5年ほど経ってからです。

そこから抜け出すと、今度はいろんな人の思いが、なんとなくわかってくるような気がします。
そこで、人は、一段とやさしくなれるような気がします。
視界も広がります。

愛する人との別れは、たくさんのことを気づかせてくれます。
まもなく7回目の命日がきます。

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