■節子への挽歌2210:節子も聞いていましたか
節子
國分さんが湯島に来ました。
ある問題で、ある人との係争問題を話し合いたいので、私に立ち会ってほしいといってきたからです。
なぜ私が立ち会うのか、よくわからなかったのですが、その相手からも立会いを頼まれたので、不承不承、立ち会いました。
私は単に聞き役でいいのですね、と確認したら、そうですと國分さんが明言しました。
最初に國分さんが話し出しました。
そこに節子のことまで出てきました。
ようやく國分さんの意図がわかりました。
國分さんとの出会いは、もうかなり前です。
アフリカから戻り、アメリカに行く前だったでしょうか。
節子の体調のことも知り、アメリカに発つ前にたしか植物エキスからできた何かをもらったような気がします。
それを使うと元気になるというものでした。
國分さんは、そういう分野に強い興味を持っている方でした。
その後、アメリカにわたり、ニューヨーク州政府認定マッサージ・ セラピストになり、今は日米で活動しています。
節子は病気になってから、渡米前に國分さんからもらった手紙を見つけ、会いたいと言い出したことがあります。
その時には、國分さんは確か帰国していて、会ったような気もしますが、あまり明確に覚えていません。
おそらくこの挽歌のどこかに書いてあるでしょうが、時々、書くように、この10年ほどの私の記憶はとても曖昧になっているのです。
特に節子に関連した記憶は、そうなのです。
國分さんの話は、私たちへの報告のような気がして聞いていました。
意識して國分さんがそうしていたわけではないと思いますが、何となくそう感じたのです。
ちなみに、肝心の話し合いの論点は、話し合うどころか、最後に國分さんが相手の言い分をすべてあっさりと一方的に飲んでしまいました。
だから私など同席する必要がなかったのです。
でもきっと國分さんは、私たちに同席してほしかったのでしょう。
彼女はとても霊性の強い人なのです。
彼女の思いは、たぶん、私は全て受け止められたと思います。
話し合いが終わった後、思わず、國分さんに「変わっていないね」と言ってしまいました。
節子
國分さんはますます元気です。
節子のことを覚えていてくれたのが、私にはとてもうれしかったです。
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