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2013/09/29

■前に進むということ

昨日、フォワードカフェという集まりをやりました。
私が事務局役をやっている、自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあいから始まった集まりです。
「フォワード」とは自殺を考えたり、自殺未遂をしてしまったりした人たちを表現するものとして、4年前に公開フォーラムをやった時に使い出した言葉です。
しかし、そういう活動を通して、「自殺」に無理につなげるのではなく、もっと広く捉えたほうがいいと考え直しました。
大切なことは、「自殺」から考えるか、「生き方」から考えるかです。
私の関心は、「自殺防止」にあるのではなく、「人を自殺に追いやるような社会のあり方や人(自分)の生き方」にありますから、当然、生き方から考える必要があります。
そこで、フォワードを広く捉え、「前に向かって進みたいと思っている人」としました。
進みたいけど、まだいまはゆっくり立ち止まっている人もフォワードです。
いいかえれば、すべて人はフォワードです。
人類が直立して歩き出した時、たぶん例外なく、前に進んだはずです。

昨日は、自殺未遂者の知人の話を中心に、明るく話し合いました。
彼は、私に会った時には「自殺未遂サバイバー」を名乗っていましたが、最近は「フォワード」を名乗りだしています。
ただ、なかなか「前」には進み出せません。
昨日は、なぜ前に進めないかを参加者も一緒になって考えました。
そこで、気づいたことがあります。
「前」とは、「目が向いているほう」でしかないのではないか、と。
つまり、間違ったほうを目が向いていると、ほかの人からみると後にすすんでいることになりかねないのです。

顔をどこに向けるか。
それが大切なのです。
昨日の知人は、明らかに顔の向け方が間違っていました。
話し合いで彼も漸くそれに気づき、顔の向きを変える決断をしました。
ここまでくるのに3年かかりましたので、私にはうれしいことでした。

しかし、考えてみれば、これは他人事ではありません。
果たして私自身の顔の向きはどうなのか。
目の先にある、遠くの風景を見極めないと、前に進んでいるようで、後に進んでいるかもしれません。

前に進むとは、どうもそう簡単なことではないと、やっと気づきました。

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