■節子への挽歌2189:生活のリズム
節子
節子がいた頃は、ホームページの更新とオープンサロンの開催だけは、どんなことがあっても守っていました。
毎月最後の金曜日のサロンは、九州に数日出張していた時にも、サロンにだけ戻って、また九州に行くということもありましたし、毎週日曜日のホームページ更新は夜なべしてでもやっていました。
ところが、最近は、いずれも確実にやってはいません。
3か月ほど前には、オープンサロンを休んだのですが、ホームページに告知したり来そうな人にはメールしたりしたのですが、当日、2人の人が湯島に行ったそうです。
しかもそのうちの一人は北九州の人でした。
わざわざ寄ってくれたのに、申し訳ないことをして、以来、サロンは絶対にやろうと思いなおしました。
ホームページの更新は、最近はかなりルーズになりました。
時間がないこともありますが、忘れてしまうこともあるのです。
要するに生活にリズムがないためでしょう。
節子がいなくなってから、生活のリズムが崩れました。
そして、いつの間にか、リズムのない単調な生活になってしまったような気がします。
リズムがなくとも生活はできるのです。
しかし、リズムがないと、時間がうまく使えません。
暇なのに忙しくなったり、気づかないうちに時間が過ぎていたり、いろいろあります。
今日、2週間ぶりにホームページを更新しました。
と言っても、週間報告だけの追加です。
節子がいなくなってからは、ホームページをきちんと更新した事がありません。
ただただ日記代わりに書き加えているようなものです。
私にとって、ホームページの意味もあまりなくなりました。
ホームページを閉じてもいいのですが、そういう節子がいた時にやっていたことを止めることはあまりしたくはありません。
要するに、何かを決断したくないわけです。
そうして、何となくだらだらと生きつづけるというわけです。
そういう生き方ですから、生活にリズムが生まれようもないのです。
こうした生き方から抜け出せるのでしょうか。
節子の7回目の命日を、私自身の生き方を見直す機会にしようかとも思っていましたが、どうもそうはならないようです。
もう少しだらだら生きていこうという気がしています。
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