■節子への挽歌2199:退歩
節子
今日はさわやかな秋晴です。
雲の形が実にいいです。
暗雲と言われるような不安を起こす雲もあれば、今日のように、心を和ませ元気づける雲もあります。
昨日、滋賀にいる節子の友人から電話がありました。
花を送ってくれた人たちです。
元気そうでした。
節子は、とても良い友だちだったと、今も言ってくれています。
先に逝ってしまう人が、「良い友だち」のはずはありませんが、まあそこは素直に受け止めましょう。
7回目の命日を超えて、私も少し心身の整理ができてきたのかもしれません。
いや、そう思いたくなってきたというのが正しいでしょう。
先週、テレビの「こころの時代」で、東洋思想研究家の境野勝悟さんの話を聴きました。
そこに、道元の「退歩」という言葉が出てきました。
私の認識とは少し違っていたので、改めて、少しだけ調べてみました。
道元は、「須らく回光返照(えこうへんしょう)の退歩(たいほ)を学すべし。身心(しんじん)自然(じねん)に脱落して本来の面目(めんもく)現前せん」と書いています。
テレビでは、境野さんは、そのことを様々な切り口から説いてくれています。
改めて、納得できました。
ある意味で、節子がいなくなってからの私の姿勢は、退歩と進歩の往復ですが、少なくともこの挽歌を書く時には、「退歩」に心がけています。
退くことによって見えてくるものはたくさんなるからです。
境野さんはまた、学ぶことは自らを忘れることだ、とも言っていました。
あんまり正確な引用ではないのですが、私にはそう聞こえました。
退歩も進歩も、自らを忘れることかもしれません。
今日の気持ちの良い、さわやかな青空は、いろんなことを忘れさせてくれます。
私も、節子も、青空が好きでした。
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