■サリン兵器を持つことの意味
シリア関係の報道を見ていて、なんともやりきれないのは、国連のチームによって化学兵器の使用が確認されたにもかかわらず、実際にはなんの動きも出てこないことです。
むやみに武力行使するのはもちろん避けねばいけませんが、武力か交渉かという「二者択一」発想ではなく、何か方策はないものかと思います。
ところで、化学兵器を所有すると使用するとは、違う概念でしょうか。
ちなみに、核兵器に抑止力(と攻撃力)があるということは、核兵器の所有と使用とがつながっていることを意味します。
使用しなくても、兵器としての効果を実現できると言うことです。
同じように、化学兵器もまた、所有することに意味がありそうです。
サリンを持っている人には、手を出せません。
所有するだけで「脅迫効果」があります。
つまり所有すること自体が、暴力の行使に当たるともいえるわけです。
ブッシュのアメリカがイラクを攻撃したのは、その論理からです。
もっとも、イラクの時は、相手は所有さえしていなかったのですが。
サリン兵器を所有する国家は正常な国家とはいえません。
しかし、もしそうなら、核兵器をもつ国家も正常とはいえないでしょう。
さらに論を進めれば、原発を持つ国家も正常ではないように思います。
それはともかく、現在の世界では、犯罪かどうか、つまり正常かどうかは、国家が決められます。
国家が命ずる殺人は犯罪にはなりません。
国家とテログループの違いは、そこにあります。
その非対称性を考えないと、世界で起こっている不幸な戦いは理解できません。
国家は、いいとこ取りができるのです。
世界から殺し合いをなくすためには、国家視点で考える時代は、もう終わったように思います。
テロと言われるような活動も、あるいは内戦も、終わったものかもしれないと、この頃、つくづく思います。
| 固定リンク
「平和時評」カテゴリの記事
- ■仕掛けた人の背後にある真実(2022.05.13)
- ■戦争を止めるのは人の友好関係を広げていくことでしかありません(2022.05.08)
- ■昨日は沖縄が日本の返還された日でした(2022.04.29)
- ■ジョン・ダワーの「戦争の文化」とウクライナ戦争(2022.04.21)
- ■国民の無関心が戦争を引き起こす(2022.04.18)
コメント