■節子への挽歌2207:一念三千
節子
テレビの名刹古寺という番組で、大原の三千院を取り上げていました。
私の好きなお寺で、節子とも何回か、行きました。
特に秋に歩いた、京都の三尾は心に残っています。
寂光院の石畳が私たちは好きでした。
神護寺の紅葉もきれいでした。
川沿いで食事をしたような気もします。
三千院では、数年前に「悪魔」に出会ったことがあるのですが、その話を節子にしても信じてはもらえませんでした。
節子だけではなく、誰も信じてくれませんでしたが、広島の折口さんだけは信じてくれました。
そのことを思い出して、私のホームページを調べてみました。
そうしたら、その後、もう一度、三千院に行っていることを思い出しました。
2004年の4月でした。
節子が、元気になってきた頃です。
これが、節子と一緒の、最後の三千院だったのです。
この年は、ともかく節子と一緒に、いろんなところに行きました。
三千院は、節子の姉夫婦と4人で行きました。
なんとなく覚えてはいるのですが、なぜか現実感が戻ってきません。
節子は、その頃、私との思い出をたくさん残そうと私をよく誘いました。
ところが、どうも私にはその思い出があまりきちんと残っていないのです。
節子ががん宣告を受けてから、私は仕事をやめ、活動も大幅に減らしました。
節子との時間はかなりたくさんあったはずですし、節子との一緒の時間を大切にしようと言う気持ちも強かったはずです。
しかし、なぜかその4年半の事は、すべて現実感のない記憶になっています。
とても鮮明に思い出す風景もあるのですが、それがつながらないのと、どこでのことかもあまり思い出せないのです。
せっかくがんばって、思い出を残していってくれた節子には申し訳ありません。
もしかしたら、その4年半は、節子が私たちを先導していたのです。
付いていくだけだと、記憶は残らないものです。
ケアしていたのは、私ではなく、節子だったわけです。
三千院は、「一念三千」という言葉からとったそうです。
一念三千。
天台宗の基本的な教説の一つですが、私たち一人ひとりの日常の一瞬一瞬のかすかな心の動きに,宇宙の一切のすがたが完全にそなわっているということだそうです。
宇宙の一切のすがたが「三千」と表現されています。
この挽歌を書く時、いつも、パソコンに向かって、節子を念じます。
そうするとなぜか書き出せるのですが、時に書いていても、論旨不明の支離滅裂な内容だなと思うことがあります。
それでもアップしてしまうのは、書いたことには何か意味があるのだろうと思うからです。
もちろんチャネラーの手による天からのメッセージではないのですが、まあ、その時々の私の思いですから、そこには私のすべてが入っているわけです。
一念三千。
なんだか好きな言葉になりました。
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